【本棚から】学校に行きたくない君へ贈る5冊
学校に行きたくない、つらい。そんな時、読書は助けになる。
新学期が始まる9月1日などは、自ら命を絶つ子どもたちが多いという。いまも、苦しくて、追いやられている子がいるかもしれない。
潤沢ではないけれど、本棚から、そんな人へ贈る本を選んだ。
①「よるのばけもの」(小説、住野よる、双葉社)
心の痛みや生きづらさを優しくすくい取ってくれる。
それが住野よるさんの「よるのばけもの」だ。本書のテーマは「いじめ」。それでいて、説教がましかったり、美談に終わらせるような類じゃない。
夜になるとバケモノになる少年が、遊びに出掛けた深夜の学校で、同じクラスでいじめられている少女に出会う。なぜか少女は、バケモノが少年だと見抜く。
映画化もされた「君の膵臓をたべたい」の作者でもある住野さん。膵臓と同じく、言葉にならない心のひだのちょっとした震えを、住野さんはとらえる。
もしあなたが言葉にならない苦しさを抱えていたら、それを言葉にする助けに本書はなってくれるだろう。それだけで、もしかしたら生きる力になるかもしれない。
②「最後の秘境 東京藝大」(ノンフィクション、二宮敦人、新潮社)
世の中には想像以上にいろんな人がいる。
それを抱腹絶倒の文章で伝えてくれるのが二宮敦人さんの「最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常」。妻が東京藝大に通う二宮さんが、東京藝大にいる様々な学生さんたちの生き様をレポートしている。
子どものころから英才教育を受けて音楽に特化した人もいれば、口笛世界チャンピオンなる人もいる。二宮さんのパートナーは冒頭で木から亀を造形し、甲羅にフェルトを貼る。素晴らしいのは、そんな多種多様な「好き」を持つ人たちが共存していること。
多くの小中高は勉強か部活が評価の尺度になるし、ヒエラルキーをコントロールするのは一部のクラス内権力者だろう。でもそうじゃない場所もある。
実際に、学校ではいじめられていた、という学生さんもいる。
「ヴァイオリンは、山口さんにとってはどんな存在なんでしょう?」
そう聞くと、山口さんはしばらく黙して俯いた。
「……私、中学の頃いじめられていたんです」
ぽつりと、山口さんが言う。
「死ぬ間際まで追い詰められてました。そんな時、ヴァイオリンに集中することで乗り越えらたし……ヴァイオリンに集中していたら高校にも合格して、そこから藝大にも進んで……道が開けていったんです。だからヴァイオリンは恩人ですね。命の恩人」
銀色のヴァイオリンケースがほんのすこし揺れて、照明をきらりと反射した。
「辛い時、ただそこにいてくれて。私が弾いたら音を出してくれる……優しかった、です」(p125)
いまの学校が嫌でも、藝大には行ってみたいな。と思うことも、あるかもしれない
③「鴻池剛と猫のぽんたニャアアアン!」(漫画、鴻池剛、KADOKAWA)
とにかく辛くて笑えないときはこれを読んでほしい。
猫と飼い主のドタバタ劇。ただただ笑えます。
④「ナリワイをつくる」(ノンフィクション、伊藤洋志、ちくま文庫)
1つの企業から月収を得て暮らすばかりが仕事じゃない。
伊藤洋志さんの「ナリワイをつくる 人生を盗まれない生き方」は、本来、行き詰まったサラリーマン向けのアナザーウェイ指南書。でも、子どもたちにも届く内容だ。
なぜなら小中高の教育のバックボーンには、本質的にサラリーマン、同質性の高い組織で活躍する人材を育てる方針が重なっているから、だと思う。
伊藤さんは、1回数万円とか数十万円の収入を生み出す小さな仕事「ナリワイ」をいくつも掛け持ちすることで生きている。
ナリワイは少額だけど、それを組み合わせることで豊かに生きていける。
伊藤さんは、ナリワイは「平和なゲリラ作戦」だという。
ナリワイで生きるということは、大掛かりな仕掛けを使わずに、生活の中から仕事を生み出し、仕事の中から生活を充実させる。そんな仕事をいくつもつくって組み合わせていく。いわば現代資本主義での平和なゲリラ作戦だ。(p33)
学校のシステムになんとなく肌が合わなければ、違う生き方を探るのもありだ。
⑤「多動力」(ノンフィクション、堀江貴文、幻冬社)
一つのものに縛られるな、と堀江貴文さんも言う。
「多動力」の素晴らしい点は短時間で読めることだ。1時間もあれば、堀江さんが示す多動力、すなわち「突き抜けたものをどんどん横に増やし、相乗効果を生む」ことの大切さが伝わってくる。
そもそも堀江さんは、社会的に見れば一度、経歴をズタズタにされた人だ。でもいまの堀江さんの活躍は、そんなことは考え方次第で「かすり傷」だと証明する。
学校に行きたくないことは失敗でも、落第でもなんでもない。そもそも人生にそんなものは、ほとんど存在しないんだなと勇気をもらえる。