読書熊録

本に出会う歓びを、誰かと共有したい書評ブログ

まさに今ー読書感想「米朝開戦」(M・グリーニー)

まさに「米朝開戦」の恐れもある今、読みたいと手に取った一冊。

軍事スパイ小説の名手、故トム・クランシー氏のシリーズを後継したマーク・グリーニー氏による小説。「開戦」というタイトルだけれど、今回も水面下で展開するインテリジェンス(諜報)バトル。厳密には「米朝冷戦開戦」というところだろうか。

本書は、対北朝鮮におけるアメリカ的視点を学ぶテキストになる。人気小説には、市民感覚が色濃く反映されているように感じられるからだ。米市民が北朝鮮をどう見ているか、そして現実と符合するのか。思考を巡らす寄る辺になる。新潮文庫、4巻、1000ページ超。

米朝開戦(1) (新潮文庫)

米朝開戦(1) (新潮文庫)

 

 最高指導者は狂信者か?

本作が発表されたのは2014年。明らかに現実を下敷きにしている。

まず1巻では、北朝鮮が大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験をするところから、米大統領ジャック・ライアンの表情が険しくなる。ちょうど同時期、秘密諜報組織「ザ・キャンパス」の監視対象者がベトナムで北朝鮮工作員にも襲撃され、かの国で何かが進行していることが予感される。

目につくのは、小説内の北朝鮮最高指導者チェ・ジフンが「狂信者」として描かれていることだ。たとえば1巻ではこんな感じ。

 しかし、チェ・ジフンは外交官になりやすいような育てられかたをしたわけではなかった。彼は生まれてこのかた欲しいものは何でも与えられてきたと言ってよい。側近たちはみな、彼の前を横切るだけで死刑に処せられる可能性があることを知っていた。したがってチェ・ジフンの交渉能力は最低・最悪だった。彼は柔軟性皆無の手に負えない頑固者で、相手に歩み寄るということを決してしない。(p104)

ほかにも、部下との謁見にブランデー片手に現れたり、無茶苦茶な納期でビジネス完遂を命じたり。米社会ではきっと、北の最高指導者は「独裁政権を持った結果、頭がぶっ飛んだリーダー」の印象が強いのかなと感じた。日本国内での扱われ方も一緒だ。

でも、これは《現実》なのか、という疑問が湧く。

北朝鮮のトップは本当に、「核ミサイルを持たなければアメリカに潰される」という偏執狂的な思い込みであんなに軍事開発と挑発にのめり込んでいるんだろうか。

違う見方をする人に、元経済ヤクザの猫組長がいる。その論考が面白い。

gendai.ismedia.jp

猫組長は、小規模ヤクザの北朝鮮が大規模ヤクザのアメリカに対抗するために、様々な挑発が行われていると指摘する。暴力団的な視点で見ると、北のいまは「合理的」だという。

だとすれば、北のトップは狂信者ではなく、狂信者の仮面を被った戦略家の可能性もある。

 

HUMINTは足りているか

スパイ小説の本書にあって、重要と思われる論点は、アメリカの対北朝鮮諜報活動において、HUMINT(ヒューマン・インテリジェンス、人的情報収集)が欠けている、というものだ。

これはライアン大統領執務室でのブリーフィングで明言される。

(中略)「HUMINTの大半は韓国への脱北者がもたらしてくれます。そしてその情報の質はたいてい低いのです。脱北に成功するのはふつう、零細自営農、労働者、ティーンエージャーだからです」

 ライアンは返した。「われわれは暗闇のなかにいるようなもので、何もわからないというのかね?」

 「HUMINTという点から見ると、ほぼそのような状況です。われわれは北朝鮮の下級官僚を何人か取り込んではいますが、あるいていど動かせるそうした平壌の官僚たちはわれわれと連絡はとれるとしても、頻繁にそうすることはできません(中略)」(1巻、p124)

たしかに、国交もなく、見た目にも明らかに違うアメリカ人が北朝鮮でスパイ活動をするのは困難そうだ。一方で、平気で最高幹部が銃殺されてしまうあの国の役人がスパイをやるメリットはあるのだろうか。

 

物語では、中国系アメリカ人のアダム・ヤオが中国のアングラ鉱山への潜入を経由し、北朝鮮への入国を試みる。そもそも中国だってアメリカの「味方」じゃない。こんな任務を任されたら震えて動けないよ、とヤオに心底同情した。

 

外貨をどうやって獲得している?

ばんばんミサイルを撃ち、核実験を試みる北朝鮮に対する素人の疑問は「そのお金はいったいどこから出ているの?」というものだ。

《現実》では、ロシアへの出稼ぎ労働者が問題にされていた。また猫組長は、ミサイルや核兵器の実験が「国際見本市」なんだと指摘する。武器ビジネスによって外貨を獲得しているというのだ。

「米朝開戦」では、また違った稼ぎ方を提示し、それを物語の軸にしている。裏表紙のあらすじに触れられていないので、ここでもネタバレは控えておきたい。小説のエッセンスだとしても、非常に興味深い稼ぎ方だと思う。

 

ネタバレできない部分としては、ラストもいろんな議論があると思う。「アメリカ的な発想では、こんな結末が理想なのかな」と思わず考えさせられる内容だった。《現実》はどうなんだろう。トランプ大統領は色んな選択肢を机上に乗せているだろうけど、「結末」にはどんな青写真を描いているんだろうな。

 

今回紹介した本はこちらです。

米朝開戦(1) (新潮文庫)

米朝開戦(1) (新潮文庫)

 

 

米市民の代表の席に着くトランプ大統領の人間性を学ぶにはワシントン・ポスト取材班の「トランプ TRUMP REVEALD」がおすすめです。ディールで戦ってきた男は、半島問題をどうディールするんだろう。

www.dokushok.com

 

北朝鮮をめぐるもう一人の最重要アクターはロシア。プーチン大統領のバックグラウンドや、思考様式を知るには「ユーラシアニズム ロシア新ナショナリズムの台頭」がヒントになります。かなり難解ですが。

www.dokushok.com