人生は私のものー読書感想「最低。」(紗倉まな)
「エロ屋」を看板にする女優紗倉まなさんのデビュー小説「最低。」は、胸をえぐるヒューマンストーリーだった。AVが何らかの形で人生に関わる「彩乃」「桃子」「美穂」「あやこ」4人を軸にした、連作短編集。好奇の眼差しや、偏見、後ろ指があふれるAV制作という職業。しかしそこにも当然、人生を精一杯に生きる人間がいる。「私の人生は、私のものだ」。そんな力強いメッセージを感じた。角川文庫。
体温のある言葉
本書「最低。」は紗倉さんの人生をぶつけたように感じられる、体温のある言葉が印象的だ。たとえば、最初の作品「彩乃」で、女優としてこの世界に飛び込んだ主人公彩乃に、プロダクションを取り仕切る男・石村が業界について語るこんなセリフ。
「まあ、実際の評価はそんなもんなんですよ。日本は特に、何でも隠す文化ですしね。悪いことをしてるわけじゃなくても、誰か一人の心の灯になっていたとしても、恥ずべきことをしている、って断言されてしまうことだってありますし。偏見や差別、批判の応酬が年中無休で営業しているような現状も、仕方ないんです。だけど、それらの一つひとつに向き合っていたら心がもたないですから。受け流せる器用さも、この仕事から習ったようなもので、びっくりするくらいに慣れていくんですよ」
洋平の寝息はさらに豪快さを増し、室内に響きわたっていた。
「そんなものですか」
彩乃がつぶやく。
「はい、意外にも、そんなもんですよ」
東京タワーの赤い光を懐かしそうに見つめながら、ぼんやりと石村はつぶやいた。(p33)
正義や道徳心を矛にした「偏見や差別、批判の応酬」に一つ一つ向き合っていたら心がもたない。それは、偏見や差別、批判を「する側」じゃなく「受ける側」のまぎれもない本音に感じられた。「そんなもんですよ」と言えるようなたおやかさが、とても人間臭い。そういう言葉を導き出せるのは、紗倉さんもまた、様々な負の感情を「受ける側」に立ってきたからじゃないかと思う。
力強く、働く
偏見や差別、批判を「受ける側」が、その通りに卑屈である必要なんてまったくない。それをちゃんと訴えてくれるのが、この物語でもある。主人公の女性たちは、みなちょっと生き迷いながらも、とても凛としている。そしてそこに覆いかぶさろうとする蔑みに、簡単には屈しない。彩乃は、仕事帰りの昼間に乗ったタクシーで運転手に「何関係のお仕事されているんですか」と問われて、心の中でこう語る。
(中略)彩乃のような若い女が、まだ電車も通っている時間帯に五千円以上もかかる距離をタクシーで移動しているというのは、他人から見れば確かに疑問に思うことではあるだろう。同世代の友人からしても、きっと、こんな贅沢なことはない。でも、さっきまで力強く働いていた自分がこうした贅沢を選ぶのに、何か悪いことでもあるのだろうか。身の丈に合わないと罰が当たるというのなら、その身の丈とは一体なんだろう。(p39−40)
この「力強く働いていた」というところに、強調の点が打たれていることに注目した。彩乃の本音が伝わってくる。
人から後ろ指を指される仕事をすることは、社会的に認められた仕事をすることと、「働く」という意味で違うのだろうか。きっと、そうじゃない。どの現場でも、「力強く働く」ことは可能だ。
もちろん、性産業の現場に、望まない形で就労させられる女性が(あるいは男性も)いるのは、事実だろう。
しかし、それは「望まない形で働かせる」のが問題なのであって、性産業であっても建設現場であっても銀行であっても、強制的な労働はいつだって許されない。性産業に従事する人は皆が皆「働かされてる」「かわいそうな」人ではないことを、彩乃は言おうとしてるんじゃないか。そうやって見ることで優越感にひたることの恐ろしさを、静かに訴えているんじゃないのか。
あとがきが物語を深めてくれる
「彩乃」から物語はゆるかやにつながって、「桃子」では石村の過去が深掘りされたり、少しずつ世界が見えて来る。そのストーリーテリングは鮮やかで、目にするいろんな光景、現れるセリフが、次々と心に爪痕を残していく。
そんな物語を終えた後の「あとがき」がまた極上だ。
紗倉さんが、なぜ「最低。」を書くことになったのか。物語の女性たちが味わったような辛酸を、紗倉さんも体験したのか。そんなことがふんわりと語られる。特に、紗倉さんが友人からある本を勧められて、物語の魅力に「出会った」話が印象深い。表現と紗倉さん、小説と紗倉さんのつながりが明かされることで、「最低。」をより深めてくれるような気がした。
今回紹介した本は、こちらです。
ちょっとセンチメンタルで霧がかったような物語の世界観は、まったく畑違いですけど、早瀬耕さんのミステリー「未必のマクベス」と共通するものがあります。「最低。」が好きな方には気に入ってもらえるはず。
性産業に向ける社会の、男性のまなざしは、女性が生きる上で感じる不自由とリンクするのではないでしょうか。柚木麻子さんのミステリー「BUTTER」は、そんな「女性」性をテーマにした骨太の作品です。