読書熊録

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ヘイトの先ー読書感想「R帝国」(中村文則)

 「朝、目が覚めると戦争が始まっていた」。中村文則さんの最新作「R帝国」の書き出しは、たった一言で物語に引き込む。そこからはもう、目が離せない。このディストピア小説の恐ろしさは、いま、社会の憎悪(ヘイト)を増幅した先に、こんな絶望的な世界が起こりうるのではないかという予感があるからだ。大音量の音楽を耳元でずっと響かせられているような、不快感と陶酔の入り混じる不思議な読み心地。中央公論新社。

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R帝国

R帝国

 

 

日本のようで日本でないR帝国

 物語の舞台はR帝国で、日本ではない。でも遠いようで近い架空の国だ。主人公の1人が矢崎という男のように、人名や言語はどうやら日本語。「HP=Human Phone」という人工知能を発達させたスマートフォンな機械が生活に密着し、たとえば電車内ではみんながHPをいじっている。その景色は日本と共通する。

 R帝国は民主主義国家である。だが、与党が圧倒的多数と権力を堅持し、野党は「見せかけの野党」として生かされているのが現実。帯にも書いてある通り、事実上の「独裁政権」になっている。民主主義制度の中で独裁が出現していることがなんとも恐ろしい。そんなR帝国が、「朝目覚めると」隣国のB国と戦争を始めている。そこから、戦況は混沌とし、さらには戦争の背後にある「国家の意図」が少しずつ立ち現れてくる。

 

 R帝国や、そこから始まる戦争はそれ自体が恐ろしい。しかし、その中にもある生活を垣間見ると、さらに背筋が凍った。たとえば、R帝国には「公開処刑」がある。それは鬱屈した社会で、一大娯楽になっている。その熱狂はこんな様子だ。

 「(中略)かっとなって、俺は覚えてないんだ! 最初にぶつかってきたのはこいつだ! だからこいつが悪いだろ? その時、本当に頭が白くなって、本当に、頭が、真っ白になって、俺は覚えてなくて、俺は」

  妻が悲鳴を上げる。

 「この男を殺してください!」

 会場からも一斉に怒号が上がる。「こいつは早く死刑だ」運転手も呟く。

 「死ね!」

 「死ね!」

 「死ね!」

 会場から叫び声が上がる。シュプレヒコールのように。熱が湧き上がり会場を覆う。

 「早く殺せ」運転手も激高して言う。「ねえお客さん、こいつはすぐ死ぬべきだ! そうでしょう? クソ野郎だよ!」(P24ー25)

 この国は、日本ではない。ただ、日本とR帝国がかけ離れていると、自信を持って言えるかが分からないのが、とても怖い。

 

増幅させたヘイト

 死刑制度への支持が、過剰なまでの熱狂になっているのがR帝国の一面であるように、この国ではありとあらゆる憎悪や偏見が、「増幅」されているように感じられる。

 物語の中盤で、様々な国民の1日が描かれるシーンがある。R帝国では移民の労働力が定着しているが、ある者は戦争が始まった途端、ネット上で彼らへのヘイトスピーチを開始する。それが、さきほどの「公開処刑」のように、どんどん、どんどん、過剰になっていく。

 そうした「増幅」の描き方が、本作はあまりに容赦がない。次から次に描かれる。どんどん救いが削り取られていく。もしかしたら、読んでいる途中で胸が苦しくなる人もいるんじゃないかと思えるくらいだ。

 そこには、現代人に向けた著者のアイロニーがあるんじゃないかと思う。たとえば、ネット上の「幸せアピール合戦」について、こんな風に書かれている。

 ネット上の膨大な"幸せアピール合戦"を眺めていると、Cは自分も含め皆がなぜか気の毒に思え、何だかこれは逆に絶望なのではないかと感じることもある。芸能人でさえ、自分の幸福をやたらアピールする。

 わざわざ他人にアピールしなければ、自分を幸福と思えない人達。自分も含め、人の目ばかり気にしてしまう人達。

 でも仕方ないのだ。私達の幸福はどれも脆くてあやふやで、いつ崩れるかわからない。だから他の人に承認してもらうことで、羨ましがってもらうことで、自分達の幸福を補強したくなる。(P202)

 幸せを示すことが逆に絶望になっていないか、というのは、かなり尖った見方だと思う。でも一面からしたら確かにそうで、中村さんはそんなある一面が行き過ぎた先の世界を、物語にして鮮明化してくれる。

 

小さな嘘より大きな嘘

 物語はR帝国とB国の戦争から、どんどん奥行きを増していき、後半の展開は予想をはるかに上回るスケールになる。「国家と戦争」「国民にとっての戦争と、国家にとっての戦争」を大切なテーマにしていて、読者の思考を刺激する。

 

 通読した後、物語の始まりの前に示された一遍の言葉が真に迫ってくる。それはアドルフ・ヒトラーの「人々は、小さな嘘より大きな嘘に騙されやすい」というもの。物語における小さな嘘と大きな嘘。そして、いま自分たちが生きているこの社会に、小さな嘘が潜んではいないか。点検したいと思えた。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

R帝国

R帝国

 

 

 ヒトラー治下のナチスドイツなど、ファシズムの発生の「芽」について、ティモシー・スナイダーさんの「暴政」は平易な言葉で示してくれます。R帝国の刺激や危機感を、現実での活かし方に落とし込んでくれそうな一冊。

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  自分の中にある「ヘイト」「差別」を可視化する助けになるのが、「相模原障害者殺傷事件 優生思想とヘイトクライム」だと思います。誰かを否定する眼差しは、回り回って自分に戻ってくることがわかります。

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