読書熊録

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草原へ連れていってー読書感想「カウボーイ・サマー」(前田将多)

 心を遥か遠く、草原へ連れていってくれる本がある。「カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で」だ。コピーライターの前田将多さんが勤務先の電通を辞めて、憧れのカウボーイになろうと、牧場で働くノンフィクション。カウボーイの実態を伝えるのではなく、「カウボーイになりたい」前田さんの言葉は、汗とハンバーガー、牛の糞のにおいが豊かに漂う。働いて働いて、もしも心が雨模様だったら。本書を開いてほしい。カナダのまっさらな青空が見えるはずだ。旅と思索社。

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カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で (Tabistory Books)

カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で (Tabistory Books)

 

 

俺の孫くらいの代には

 カウボーイは実在する。それ映画や小説の中で描かれる憧憬じゃなくて、職業としていまも北米大陸に存在する。前田さんは、日本からカナダに移住してカウボーイになったジェイクのもとで「研修」し、ハーブ氏が牧場主の「キング・ランチ」に「就職」する。

 カウボーイの仕事は、日本でいうと畜産家と酪農家と農家を掛け合わせたような中身だ。広大な牧場で、馬を操り、家畜の牛を飼育して出荷する。空いた時間には穀物も栽培する。ときどき、ロデオ大会や牛を捕らえるローピング大会を楽しむ。これだけ聞くと悠々自適に映るが、実際の仕事はとんでもなく過酷だ。

 

 たとえば、牛に牧場の刻印を焼き付ける「ブランディング」。偶然にも前田さんが働かれていた広告業界にもある言葉だが、カウボーイのブランディングは文字通り、牛を動けなくさせた上で熱した金属棒でその牧場のマークを肌に焼く。

 ここで前田さんは、牛の耳に識別タグをつける担当になる。穴あけパンチみたいな器具でタグをつけるのだが、これが固くて両手でガッチャンとやらないといけない。その間にも牛は激しく抵抗する。これを300頭もやるのだ。前田さんは「やってられるか」とビールをあおりながら格闘し、体力を持たせるために普段は1個しか食べないハンバーガーを2個もかきこんだ。

 前田さんが淡々と仕事ぶりを記録していくから、ただただリアリティに圧倒される。これは傍観者じゃなくて、前田さんが「働いている」から描ける様子だと思う。

 

 そんな超重労働の一方ですごく素敵だなと思ったのが、カウボーイの仕事の「時間軸」だった。日本出身カウボーイ・ジェイクはこんな風に語り、前田さんはこんなことを思う。

 「完璧になることはないんやけど、常に先々を見て、土地をより良くしていくのが、カウボーイの仕事。たとえば、俺は家の庭に何本も苗木を植えた。自分が生きているうちに大きくはならへんかもしれへんけど、俺の孫くらいの代には、いい日除けになるかもしれない」

 今季の業績、半期の目標、五年後の肩書き。あとは考えるとしたら老後の自分のことくらい。会社員をしていた僕は、目先のカネのことなんて考えたくもないと粋がってたけれど、せいぜいその範囲しか考えていなかった。ジェイクたちカウボーイが視野に置く、時間の長さ、静かな思いの遠大さに、僕は胸を突かれた。(p24)

 俺の孫くらいの代にはカタチになるかと思って、いま、仕事をする。前田さんの言うように、会社員でそんな「時間軸」を持てる人がどれだけいるだろうか。自分はこの言葉に出会った時、なんだかいい意味で、肩の力が抜けた。もうちょっと、気楽にやってみようかな。そして、自分がいなくなった後も繋がる何かを、残せないかな、と。

寝っ転がって見上げた空

 もう一つ、大好きなシーンがある。

 

 前田さんは牧場「キング・ランチ」でも熱心に働く。きっと、優秀で猛烈な会社員だったんだろうなと思わせる仕事ぶりだ。そしてきっと、広告マンだったころも、仕事が大好きだったんだろうな。そう感じる。その上で、カウボーイの仕事にのめり込んで、仕事の意味を問い直していく。このシーンは、その象徴的な一つだ。

 牧草を俵のようにする「ベイル」という仕事がある。そのために草をかき集めるのが「レイク」。前田さんは仲間のカウボーイと、これを手分けしていく。

 音楽を聴きながら、たまに歌いながら、目の前の草を一列一列片づけていく。やらないと終わらないし、やれば確実に終わるのだからやるしかない。そういう意味では、会社員時代の仕事に比べたらストレスと呼べるものは断然少ない。アイデアを出す仕事は、それが出るまで終わらないし、出ても却下されたらゼロと同じだ。(p145)

 そして、こんな景色が広がる。

 五時間かけてそこを終えて、僕は草の上に倒れた。視界は積雲の浮かぶ空に、鼻腔は草のにおいに、心は充足感で満たされた。

 余韻のように残った揺れの感覚が心地よかった。(p145)

 このシーンを読んで、なんだか救われた気がした。いや、普通は「やっぱり会社員なんてストレスフルな仕事やるもんじゃねーな」と思って当然なのかもしれない。でもそうじゃなかった。なんだか、前田さんが自分の代わりに、広大な空を見てくれた感覚になった。いつか、自分にもこんな風に、「空が開ける瞬間」「心がただ充足感に満たされる瞬間」がくるんじゃないか。そんな予感をもらった気がしたのだ。だから自分は、もう少し、目の前の仕事を楽しんで、打ち込んでみようかと思えたのだ。

壊れたら、直せばいい

 読み進めていて楽しかったのは、牧場ではとにかくいろんな機械が壊れること。トラクターやピックアップトラックは複数台あるし、ベイルやレイクをするにも色んな専門機械を駆使する。壊れると、カウボーイ達は自ら溶接したり、代わりになりそうな部品を見つけてきて、修復しながら使い続けていく。なんだかその姿が素敵に感じた。

 

 中でも笑ったのが、牛糞を肥料として土壌に撒く「マニュア・スプレッダー」が壊れた時。「これだけは壊れてほしくなかったのに!」という前田さんの叫びに思わず頬が緩んだ。カウボーイの直し方が豪快で、前田さんがチェーンをいじっている時に、牧場主ハーブが別の部分をガンガン蹴ってしまい「やめてくれ! ウンコがパラパラ落ちてくる」と前田さんが心の中で声を上げた時にはさらに笑った。

 

 日本なら、会社なら、まず修理業者とか誰かに電話してしまいそうだ。でもそうじゃなくて、自分で直すっていうの、いいな。たしかに、壊れたら直せばいいよな。

 

 本書は前田さんのわかりやすく具体的な描写に加えて、前田さんが撮影したらしい写真がふんだんに使われている。だからより視覚的な作品に仕上がっている。きっと、読む人それぞれにとっての、お気に入りの景色が手に入るはずだ。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で (Tabistory Books)

カウボーイ・サマー 8000エイカーの仕事場で (Tabistory Books)

 

 

 未知の世界を見せてくれる一冊で真っ先に浮かんだのは、バッタ研究者前野ウルド浩太郎さんの「バッタを倒しにアフリカへ」。こちらも抱腹絶倒で、心がほっと温かくなります。

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 ナンパ師はカウボーイ並みに想像を超えた存在です、自分にとっては。その世界に分け入って、深淵を覗かせてくれるノンフィクションが「声をかける」です。

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