読書熊録

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ナッジ・トゥ・ザ・ピープルー読書感想「シンプルな政府」(キャス・サンスティーン)

 大きな政府か、小さな政府か、ではなく、シンプルな政府へ! オバマ政権で国家の規制を担当する「情報・規制問題室長」だった法学者キャス・サンスティーンさん「シンプルな政府 ”規制”をいかにデザインするか」は、ポップで刺激的な「第三の道」を示す。その根幹にあるのは、ノーベル賞受賞で話題をさらった「行動経済学」。人間の認知に基づいた政策策定で、国民の選択の自由を守りながら、より良い生活へ背中を押す「ナッジ(nudge)」の活用を提唱する。田総恵子さん訳。NTT出版。

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シンプルな政府:“規制

シンプルな政府:“規制"をいかにデザインするか

 

 

もっと分かりやすく、生産的で、役に立つ政府

 本書はまず、タイトルにもある「シンプルな政府」という概念を頭にインストールできることが重大な価値だ。原題が「Simpler, The Future of Government」となっているように、よりシンプルであることが、政府の未来像だと認識できる。

 

 シンプルな政府とは何か? サンスティーンさんは「はじめに」で、こんな明快な言葉で表現してみせる。

この本は、簡素化促進やその他の目的のために、ハーバート・フーヴァー大統領の時代に戻るべきかとか、政府の機能を大幅に縮小すべきかという問題に取り組むものではない。それも重要なトピックではあるが、私の目的ではなく、この本でそれについて探求するつもりはない。私の目的は、政府の現在の機能を大幅に縮小することなく、政府を効率化し、よりわかりやすく、より生産的に、より役に立つものにできると論じることだ。(p28−29)

 シンプルな政府は、従来の福祉国家(大きな政府)か、機能を縮小して税金を引き下げた国家(小さな政府)という議論とは一線を画す。むしろシンプルな政府は「効率的で、分かりやすく、生産的で、役に立つ政府」という、現代的価値を落とし込んだ「使いやすい」政府像だと言える。

 

 大きな政府VS小さな政府の構図に立つと、本書の重大トピックである「規制」は、設定すべきもの(大きな政府)か廃止すべきもの(小さな政府)になる。しかし「シンプルな政府」は、規制を「分かりやすく生産的、効率的にする」という方向に動く。存続か廃止かではなく、リフォームである。

 

 この「必要か不要かじゃなく、リフォームしようよ」という発想が心地いいし、私たち個人の仕事にも応用できそうな予感はしないだろうか。自分はワクワクした。そして実際に、リフォームの手段である「行動経済学」の知見を学ぶと、さらに胸が踊るのだ。

 

恵まれた人ほど選択しないーデフォルトの力

 「行動経済学」を取り入れた政策デザインの話の中で、一番頭をガツンと打たれたのが、「デフォルト・ルール」についてである。すなわち、私たちは人生のあらゆることをコントロールしているように見えて、実は誰かが「あらかじめ設定した(デフォルト)」選択肢を頼りにしている、ということだ。

 

 これは貧困の問題に当てはめると、発見が際立つ。デフォルトの力に目を向けると、「貧しい人ほど選択し、豊かな人ほど選択の必要がない」という現実が浮かぶのだ。サンスティーンさんは、貧困問題の専門家エステル・デュフロ氏のこんな言葉を引用する。

 私たちは貧しい人々については上から目線で考えがちだ。特に、「彼らはなぜ、自分たちの生き方にもっと責任を持とうとしないのか」と思ってしまう。だが、豊かになればなるほど、すべてやってもらえるようになり、自分の生き方について自ら責任を持つ必要がなくなるということを、私たちは忘れている。そして貧しければ貧しいほど、自分の生き方に自分で責任をもたなくてはならないことも。……責任を持っていないと叱責するのはもうやめよう。そのかわり、多くの決断を下してもらえるという私たち皆が享受している贅沢を、貧しい人々にも提供できる方法を考えよう。私たちは何もしなくても、正しいプロセスに乗っている。しかし、貧しい人々は、何もしなければ、誤ったプロセスに乗ってしまう。(p82−83)

 豊かな人は「正しいプロセス」に乗っていて、貧しい人ほど「誤ったプロセス」に乗ってしまう。なるほどなあと思う。

 

 サラリーマンと、無職の方を例にとれそうだ。自分はいま、月々のサラリーの中から、必要な社会保障費用が「天引き」されている。そこに何の選択もない。何の選択もしていないのに、いざ病気となれば、政府から必要な保障が受けられるし、どういう形になるかは別として、老後もある程度の年金が支給される。

 しかし無職である場合、社会保障費を納付できるかどうかは、その時の状況次第だ。場合によっては「納めない選択」をしないと生活できないかもしれない。結果として、不測の事態に陥っても生活保護などを除いた社会保障は受けられない。

 

 この「正しいプロセス」を豊かな人に与えているのが、実は規制の一種である「デフォルト・ルール」なのだ。自分はなぜ社会保障費を納めているのか。それは「そう決まっている」からだ。その結果、最低限のセーフティネットが与えられている。

 

 このデフォルト・ルールの最たるものが、道路や橋やインターネットなどのインフラである。オバマ大統領はある演説で、「成功者は一人で成功したわけではない。インフラの力を活用しているのだ」と指摘した。これが面白い。

(中略)頭が良かったから成功したのだと思っている人には、いつも驚かされる。頭のいい人間なんていっぱいいるじゃないか。あるいは、自分は他の人より一所懸命働いたからだと言う人もいる。一所懸命働いている人は世の中にいくらでもいる。

 成功できたとすれば、それはそこまでの道のりで手助けしてくれた人がいるからだ。人生のどこかで、素晴らしい先生がいたはずだ。誰かが、このアメリカの、驚くべきほど素晴らしい制度を作るのに力を尽くしてくれて、そのおかげで私たちは繁栄することができた。誰かが道路や橋に投資してくれたのだ。自分で起業したとしても、一人で作ったわけではない。それを可能にしてくれた人がいる。インターネットは自然に生まれてきたわけではない。政府の研究がインターネットを開発し、そのインターネットを利用して、企業は利益を上げることができたのだ。(p84)

 成功者は、インフラという「デフォルト・ルール」を最大限活用したからこそ、成功した。成功は、その人のために何かをしてくれた過去の誰かのおかげなのだ。

 

 だから政府は、「正しいプロセス」を貧しい人にも利用できるような「規制」のデザインが必要になる。我々は全てを選択しているようで、「決まっている」ものにこれだけ頼っているのだから。

 

背中を押すデザイン「ナッジ」

 「デフォルト・ルール」は政府があらかじめ設定したプロセスが人々に与える影響を示した。こうした、人々の選択にちょっとしたプッシュを加えるアイデアが「ナッジ」である。デフォルト・ルールも広義のナッジと言える。

 

 ナッジはもともと「小突く、背中を押す」という意味だそうだ。行動経済学的には、選択を狭めないものの、有益な選択にちょっとしたアドバイスをするような設計をナッジと呼んでいる。

 

 サンスティーンさんがもっとも身近な例としてあげたのは、「職場のチョコレート」問題だ。サンスティーンさんの職場で、共有スペースにチョコレートが置かれていた。しかも、目立つボウルに入っていた。それをついつい手にとってしまっていた。

 必死の思いで、そのボウルを共有スペースから2メートル離れた同僚の作業スペースに移した。たった2メートルだ。しかし、わざわざ同僚のスペースを覗かない限り、チョコが目に入らなかっただけで、チョコの消費量は激減した。

 これは「利用可能性ヒューリスティックス」(意思決定の際に、頭に浮かんだことを優先して判断する)という認知プロセスの応用版で、要するに「目に入るから手を伸ばす」という人の意識を逆手に取った「ナッジ」なのだった。チョコのことを考えなければ、チョコを食べるアクションも起きないのだ。

 

 こうしたナッジは政策にも活かせる、とサンスティーンさんはたくさんの事例で示してくれる。たとえば、コロンビア特別区で実施されたレジ袋削減策。当初は、エコバック利用者に5セントの奨励金を出していたが、まったく利用が伸びなかった。

 しかし、反対にレジ袋を使う場合は5セントを徴収することにしたら、エコバックの利用が急増。これは「損失回避性」という認知プロセスで、同じ金額でも「利益」よりも「損失」の方が、人にとっては重大に感じられる性質を利用したナッジだ。

 

 タバコのパッケージもそう。タバコを吸うと○パーセントで肺がんになると言われるより、肺がん患者の真っ黒な肺がパッケージにプリントされている方が、手に取る量は減る。これも、具体的なシュチュエーションが想像できる方がリスクを大きく評価する人間の性質だ。

 

 こんな風に、ナッジとは政策の中身というより「デザイン」なのだ。どれも、人間の認知に基づいて、性質に沿った形で提案されている。だからこそ政策の受け手である国民からすれば、「シンプル」に感じられる。

 デザインできるものと考えると、政治はこんなにも創造性がある。ただただ感心したし、もっともっとナッジな政策が増えてほしいと思った。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

シンプルな政府:“規制

シンプルな政府:“規制"をいかにデザインするか

 

 

 

 ナッジ並みに、政治をめぐる人の思考の面白さを感じられたのが、水野治郎さんの「ポピュリズムとは何か」でした。大きな政府と小さな政府の議論を変えたシンプルな政府のように、左翼右翼の構図を書き換えるのが、ポピュリズムである。

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 人間の認知の特徴は、逆境としかいえない苦しい状況でも発現するし、知っておけばより生きやすくなる。そんな学びをくれたのが、シェリル・サンドバーグさんの「OPTION B 逆境、レジリエンス、そして喜び」でした。考え方をうまく形作ることで、人生は何度でも生き直せる。

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