読書熊録

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郷に入っては郷で闘うー読書感想「ソマリランドからアメリカを超える」(ジョナサン・スター)

 郷に入っては郷に従わない、闘う。「ソマリランドからアメリカを超える 辺境の学校で爆発する才能」は、ソマリランドという圧倒的にユニークな郷で、アメリカ人起業家のジョナサン・スターさんが強烈なビジョンを持って奮闘する様を描く。その目標は、ハーバードにも入学できるほどの人材を育てる学校をつくること。一筋縄ではとてもいかないアフリカの辺境で、それでも豪快に笑ってみせるジョナサンさんが爽快だ。そして子どもたちの可能性のあまりの輝きに胸を打たれる。黒住奈央子さん、御舩由美子さん訳。角川書店。

 

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ソマリランドからアメリカを超える 辺境の学校で爆発する才能

ソマリランドからアメリカを超える 辺境の学校で爆発する才能

 

 

普通にカンニングが横行するソマリランドの試験

 語り手であるジョナサンさんは、アメリカの投資業界で成果を残してきた起業家。しかし、「それだけでは満足できない」という理由で、畑違いの教育、それもアフリカの中でもひときわ不安定なソマリランドで超優秀な学校をつくろうと動き始める。

 

 ソマリランドはアフリカ東部、エチオピアのさらに東側に位置する。大陸の角部分にある小国家は、破綻国家とも称されるソマリアと隣り合っている。その社会はめちゃめちゃユニークだ。

 

 印象に残ったのが、入試。ソマリランドの子どもたちは、試験会場で平気でカンニングする。それはジョナサンさんが創立した「アバルソ学校」の入試でも例外ではない。ジョナサンさんのレポートが秀逸だ。

  試験開始と同時に、あからさまなカンニングがあちこちで始まった。あれほどひどい状況は見たことがなかった。もし何も知らずに教室に入ったら、生徒がノートを見せあい意見交換しながら、見事なチームワークでグループ研究をしているところだと思っただろう。もちろん、グループ研究をしていたのではない。まったく個別に取り組むべき入学試験で、これ以上ないほど公然とカンニングが横行していたのだ。(p45)

 グループ研究と見紛うほど公然とカンニングが行われる。背景には、カンニングが厳しく規制されていない現実がある。また本書を読むと、大人たちの間で縁故や賄賂が横行しているのも、ルールより実利を優先する発想に結びついているように思える。

 

 高野秀行さんの「謎の独立国家ソマリランド」でも触れられてもいるが、社会全体で言えばソマリランドは氏族社会なのが特徴だ。民族よりさらに細かい、「源氏」「平氏」のような氏族が家族並みの社会の構成単位になっていて、欧米人が家族への責任を認識するのと同じように、ソマリランドでは氏族への忠誠が求められる。

 

良い学校をつくるのではない、ソマリランドに良い学校をつくる

 だから、ジョナサンさんの「ソマリランドに学校をつくる」というプロジェクトは難しい。その難しさを、ジョナサンさん自身はこんな風に表現する。

 ぼくは最初の予想とはまったく違っていた現実の、ほんの一面を見たに過ぎない。問題は、「質の高い学校をつくれるか」ではなく、「ソマリランドに質の高い学校をつくれるか」なのだ。後者に比べれば、前者のほうがずっとたやすい。(p184)

 そう、「ソマリランドに」という条件がプロジェクトの難易度を格段に上げるのだ。欧米で当たり前の人権や法令順守の感覚では決して理解できない行動。家族を拡大した氏族社会の慣習。それらを全て加味して、質の高い学校はつくれるのか。

 

 ジョナサンさんが面白いのは、ここで「郷に入っては郷に従え」の諺に倣わないことだ。もちろん欧米的価値観を押しつける訳じゃない。そうじゃなくて、自分が培ってきた知見、努力を元に、真摯に向き合う、闘うのだ。

 

 たとえば、カンニングでは、もちろん規制するけれど、それ以上に「カンニングは環境がさせるのだ」という発想で臨む。その際に、自分の過去を見直して、カンニングという行為に引き込まれる人間の弱さを思う。

 それはエモリー大学に在籍していたときのこと。ある気弱な教授の授業では立ち歩く学生さえいて、まさにカンニングも横行していた。しかしジョナサンさんは、それを断罪はしない。

 あの教室にいたエモリー大学の学生を非難するのは簡単だ。もう子どもではなかったし、評価の高い大学に通う、優秀な学生たちのはずだ。彼らの行為は完全に間違っている。でも、ここからわかることもある。つまり、エモリー大学の学生がどの試験でもカンニングをしていたわけではないということだ。ぼくが在籍した四年間にカンニングがあったのはこのときだけだ。しかも、あの講座に出ていたのが不良学生の集団だったわけでもない。彼らがカンニングをした要因は環境にあった。(p119)

 「でも、ここからわかることがある」。このジョナサンさんの学び取る姿勢が好きだ。その一方で、カンニングが完全に間違っているとの認識も失わない。闘うとはそのバランス感覚を持って、改革に取り組むことなのだ。

 

生徒のためなら

 ジョナサンさんがぶち当たるもっとも巨大な壁は、氏族社会に根を下ろしたある問題だ。地域の有力者が学校運営に不当に介入しようとし、それをはねのけるのに恐ろしいほどの労力が必要になる。

 

 なぜそこまで、祖国からはるか離れた国で努力ができるのか。ジョナサンのこんな熱い言葉を引用してみたい。

 だが、ぼくには戦うべき理由がある。生徒たちだ。彼らの将来のために力を尽くさなきゃならない。どんな不当な仕打ちを受けようとも、それが彼らに高潔さと粘り強さという教訓を与えるのだから。いつの日か社会で職務を果たすとき、彼らは決してカダー(※注※介入する有力者)にはならず、カダーを止めもせず見ているだけの人間にもならないだろう。そんな思いが、ぼくを駆り立てる。アバルソの生徒は、多くの人から指示され、正しい行いのできる、世の中に多大な影響を与えるリーダーに成長するだろう。そのためなら、何にだって耐えられる。(p245)

 どんな不当な仕打ちを受けようとも、それに屈しない姿は生徒に高潔さや粘り強さを教える。ジョナサンさんにとって、「ソマリランドに質の高い学校をつくる」というプロジェクトそのものが、才能を秘めた子どもたちへの「教育」だった。

 

 ジョナサンさんがこれほど命を燃やしたくなる、子どもたちの才能。その多様さ、その優秀さは、ぜひ本書を開いて出会ってみてほしい。これはジョナサンさんがミッションへ突き進む勇気の書であり、この世界にどれほどの可能性があふれているかを示す希望の書でもある。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

ソマリランドからアメリカを超える 辺境の学校で爆発する才能

ソマリランドからアメリカを超える 辺境の学校で爆発する才能

 

 

 同じアフリカの魅力を、こちらはバッタ研究という分野からふんだんに伝えてくれます。前野ウルド浩太郎さんの「バッタを倒しにアフリカへ」。研究者の苦悩という、これまた違ったチャレンジのおもしろみも感じられます。

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 社会って、知っているようで知っていない。その読み解き方を教えてくれる良書として、社会学者スディール・ヴェンカテッシュさんの「社会学者がニューヨークの地下経済に潜入してみた」です。NYのアングラ経済の奥深さが学べます。

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