読書熊録

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クメール・ルージュと人生ー読書感想「ゲームの王国」(小川哲)

 クメール・ルージュによるカンボジアでの大虐殺と、その中を歩く人生を、半世紀あまりの時間軸で描く。小川哲さんのSF小説「ゲームの王国」の主題は壮大だ。遊びのゲームをどうすればより楽しくできるかを考える神童ムイタックと、この国の政治ゲームをなんとか公正に書き換えたい少女ソリヤ。「ゲーム」という言葉は下巻に、クライマックスに近づくにつれてどんどん深みを増す。今年最初に読んだ本書が、今年最高の小説になりうるかも、と思うほどの傑作。早川書房。ハヤカワSFコンテスト受賞後第一作。

 

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ゲームの王国 上

ゲームの王国 上

 

 

 

ゲームの王国 下

ゲームの王国 下

 

 

 

闇の中からは、光がよく見える。

 闇の中からは、光がよく見える。チョムラウン・ビチア高校の歴史科教師サロト・サルは、子どものころからその諺を気に入っていた。暗闇から明るいものはよく見えるが、明るい場所から暗闇はほとんど何も見えない。(p9)

 これが「ゲームの王国」上巻の書き出しだ。無駄がないのに、ウィットというか、知的な香りに満ちた文章。小川さんの言葉に、背筋がぞくぞくした。面白いのはさらに、こう続いたからだ。

この諺から「輝いているときこそ、足元の落とし穴に気をつけなければならない」という教訓を引き出した国語教師は残念ながら二流だった。正しい解釈は「足元の穴に落ちたくなければ、そもそも輝いてはいけない」ということだ。輝けば必ず闇から撃たれる。それが世の摂理だ。(p9)

 諺から頷けるような教訓を引き出した教師を二流とこき下ろし、「闇の中から光がよく見えるということは、輝いては闇から撃たれる、輝いてはならない」という「世の摂理」を導き出す。知性と暗さを兼ね備えたこの男、サロト・サルが、クメール・ルージュ書記長であることは、第一章前の登場人物紹介で既に明かされている。

 

 小川さんは一貫して、この静かな不穏さに満ちた文章で、物語を綴る。まったく飽きることがない。緊張の糸が常に張られている。

 サロト・サルが登場するこの書き出しは1956年4月。クメール・ルージュが革命を達成し、カンボジアを支配下に置く1975年まで、まだまだ時間がある。この後、2人の主人公、ムイタックとソリヤも、それぞれ舞台に上がってくる。

 これは、サロト・サル率いるクメール・ルージュが、いかにして大虐殺に至るかの物語でもあるし、少年少女がその中でどう出会い、運命の糸を触れ合わせるかの物語でもある。帯に書かれているとおり、下巻では、1975年からさらに半世紀が経過する。国の、人の、一時代と一生を描ききったSF作品だ。

 

二つの「ゲーム」

 タイトル通り、ゲームというのが重要な言葉になる。ゲームとは何か。大切な、本書のテーマであり、主人公や群像劇に参加する様々な役者が、ことあるごとに語ってくれる。

 

 中でもムイタックにとってのゲームと、ソリヤにとってのゲームは、異なるものになっている。2人がある場所で出会い、ムイタックの兄ティウンも交えて、トランプを使ったゲームに興じるシーンで一端が垣間見える。

 「ねえ、あなたたちは、政治には興味ないの?」

 「あんまり」とムイタックが答えた。「僕もあんまり」とティウンが同意した。

 「クメール・ルージュは共産主義者で、アメリカの手下のロン・ノルに対向しているゲリラなの。追放されたシハヌーク殿下もクメール・ルージュの味方をしてて。今、その争いがとても重要な局面を迎えていてね。田舎だとそういうのってあんまり情報が入ってこないのかな」

 「そういうことじゃないんだ」

 ムイタックが答えた。「そういうのって、ゲームとしては不完全だからさ。ルールを守らないやつもいるし、そもそもルールも曖昧だし。最後に誰が勝ったかもよくわからない。ちなみにクメール・ルージュは悪いやつなの? その辺がよくわかってないんだ」(p196)

 ソリヤが政治の権力闘争の重大局面を見抜き、関心を寄せているのに、ムイタックは「そういうのって、ゲームとしては不完全だからさ」と一蹴する。このちぐはぐなやり取りは、2人の運命の交錯にも重なる。

 

 ムイタックはロベーブレソンという農村で生まれながら、非凡なゲームの才がある。鬼ごっこでどうしたら勝てるのか。どうすれば農業生産が上げられるか。思考の末に必ず明快な回答を出す。その能力はもちろん政治のゲームでも発揮されるはずだが、本人には興味がない。

 対するソリヤは、同じように明晰な頭脳を持ちつつ、過去の経験からこの国の政治・社会システムそのものへ深い疑念を持っている。

 大激変が迫るカンボジア。2人がどう生き抜くのかが、焦点になる。

 

不思議で魅力的なキャラクターたち

 ここまで「ゲームの王国」を紹介すると、いったいどこがSFなのかと思うかも知れない。しかし本作は、紛れもなくSFだ。物語が下巻で、2020年代まで進むからだけではない。登場するキャラクターにも、素敵なフィクションが隠されている。

 

 「ゲームの王国」は群像劇で、登場する人たちは、不思議な「力」を持ったキャラクターか、魅力溢れるキャラクターか、その両方のキャラクターがたくさんいる。

 

 たとえばソリヤは、「人の嘘を察知できる」。本人は「真実を見抜ける」と主張するが、人が話していることに嘘が入っているかどうかを、あたかも「透視」できるような力がある。

 珍しいところでは、ムイタックの友達、ロベーブレソン村のクワン。登場人物紹介で「輪ゴムと会話できる。」と書かれている。その右にいる泥(プク)というキャラクターは「農民。土と会話できる。」、鉄板(リラ)は「泥の兄。十三年間喋っていない。」とのこと。未読の人には謎だらけだと思う。

 

 現実には輪ゴムや土と会話する人間はいない。だけど、非科学的ではあるものの、カンボジアのような農業主体の社会の片隅に、もしかしたらいてもおかしくないなと思わせるところが、本作のSF要素の何とも柔らかい部分だと思う。

 

 下巻では、SFの王道をいくような架空のテクノロジーも登場する。一方で、根幹の骨太な人間絵巻は揺るがない。SF好きも、これから好きになるであろう人も、きっと、楽しめると思う。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

ゲームの王国 上

ゲームの王国 上

 

 

ゲームの王国 下

ゲームの王国 下

 

 

 大きな流れの中で、どう生きるか。こちらはミステリーですが、ノア・ホーリーさんの「晩夏の墜落」も同じ主題を捉えていると思います。「ゲームの王国」同様、優しさや柔らかさを含んでいます。

www.dokushok.com

 

 人は人に、ここまで残虐になれるのだろうかという疑問が、「ゲームの王国」を読んでいてつきまとうかも知れません。ノンフィクションとして、性犯罪をテーマに、人が人に向ける非情を取り上げている「ミズーラ 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度」が、そのもやもやを考える手掛かりになると思います。

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