読書熊録

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暮らしにバラをー読書感想「僕らの社会主義」(國分功一郎・山崎亮)

 食卓にバラを飾るように、暮らしに楽しさを自給しよう。國分功一郎さん山崎亮さんの対談本「僕らの社会主義」はそう提案する。2人が語り合うのは、社会主義を「料理のスパイスのように」使う方法だ。いろんな思想家が登場するけれど難しくない。彼らの思想を、読者と一緒につまみ食いしてくれるからだ。一言でいって、楽しい学術書だった。ちくま新書。

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僕らの社会主義 (ちくま新書 1265)

僕らの社会主義 (ちくま新書 1265)

 

 

楽しさ自給率

 「僕らの社会主義」でテーマになるのは19世紀イギリスの社会主義思想だ。社会主義というとソ連が思い浮かぶ。共産主義とともに、失敗したものというイメージがつきまとう。國分さん、山崎さんは、もっと原初的な社会主義を取り上げる。

 

 ロバート・オウエンやトマス・カーライル、ウィリアム・モリス、ジョン・ラスキン。何人かのイギリス思想家が登場する。それらの思想を体系的に伝えるのが本書の役目ではない。体系的に学んだお二人の会話の端々に登場する。その思想の断片をちょっとずつ拾い集めていくのが、楽しい。読み終わる頃にはモリスらが何を目指していたか分かる。何となく分かる。

 

 その根幹には「楽しさ」がある。19世紀は近代の終わり。産業革命の足音。効率化し、中世にあった人間味が失われる。そこに危惧を抱いた思想が社会主義だ。だから必然的に資本主義に相対する。原点は、効率より楽しみを、豊かさをというものだった。

 

 お二人は、その発想を現代のテクノロジーと重ねることで実践し直せるのではないかと考える。山崎さんのお話に耳を傾けてみる。

 (中略)ライドシェアで誰かの車を借りて出張に行っているかもしれない。事業資金も、銀行に拝み倒しているわけではなく、価値を共有してくれる仲間たちからクラウドファウンディングで集めているでしょう。シェアリングエコノミーと呼ばれるこうした働き方や生き方は、人々のつながりがかつてないほどの価値を生み出すことを示してくれています。これこそがマイルド・ソーシャリズムの二一世紀的なあり方であり、オウエンから連なる協同組合の思想や、ギルド社会主義の学び方や働き方、そしてラスキンやモリスが標榜した「楽しさ」や「美しさ」を重視した社会主義の現代版なのではないかという気がします。(p102-103)

 社会主義を実践し直す。こう書くと壮大になる。お二人はもっと平易に、「楽しさ自給率」という言葉を使う。経済的な資産ではない。お金持ちを目指すのではない。同じ仕事でもどうすれば楽しさが増すか。楽しさをどう暮らしに取り入れるかだ。

 

 裏を返してみる。いまの社会には、楽しさや美しさが足りないのかもしれない。國分さんは「Roses rather than Bread(パンよりむしろバラを)」という言葉を紹介する。2007年、格差が深刻化していた韓国で、社会運動家チェ・ジョンウンさんが使った。

 僕は本当に心打たれました。格差と非正規雇用が深刻化するこの社会というのは「お前らにはパンをやるからそれを食べて生きていろ」と言ってくるような社会です。しかし、人はパンだけで生きるのではない。パンがあれば人は生存できる。しかし生存することと生きることは同じではない。人は生きていくためにバラを、つまり尊厳を必要とします。それが徹底的に貶められているのがいまの社会なんですね。(p127-128)

 楽しさは娯楽ではなく、尊厳という家をなす柱だ。それをなかなか社会は供給してくれない。だからこそ自給が大切になる。19世紀の社会主義思想は、それを教えてくれる。

 

日和見の効能

 國分さん、山崎さんは社会主義のつまみぐいを奨励する。料理のスパイスのように、ちょっと取り入れることを提案する。その理由として「主義は病気である」という概念を紹介してくれる。

 

 主義は首尾一貫している。今日の主義と明日の主義が変わっては、主義とは言えない。でも現実は違う。困難があっても態度をかたくなにする人は、むしろ何かの病気のように扱われる。主義は抽象的には成立しても、具体的には成立し得ないことを「主義は病気である」という言葉は端的に表している。

 

 山崎さんは、地域の中では主義のない方が重要かもしれないと説く。むしろ、「日和見」の方がいいのではないかと。漁師の例が面白い。

 昔から、地域のリーダーたちは仲間や地域を上手く生き残らせていくために、状況を見て適切なほうに誘導してきた。空模様が変わってきたら、その都度違う方向に誘導する。日本では漁師さんが山に登って日和を見ていたらしいです。船頭というのは多くの人の命を抱えていますから、船の針路を主義で決めてもらっちゃ困る。今日船を出すかどうかということは、たくさんの命と天秤にかけながら雲行きを見て判断していく。(p193)

 責任を負うほど日和見は正しい。漁師の船頭が主義に凝り固まれば、嵐に飲まれて船員の命が失われるかもしれない。だから社会主義も、主義として取り入れる必要はない。スパイスとしてふりかけるぐらいがいい。

 

 國分さんはこれを、イズムをマイルドで中和するというとらえ方をする。だから「マイルド・ソーシャリズム」。イズムに硬直化しないようにする。

 

装飾という教育

 本書の中では根幹というよりは周辺かもしれない。それでも「装飾」を巡る話が面白い。

 

 近代以前のロンドンの建築には装飾が目立つ。竜や人魚、古代の神々。それは市民にとって宗教的な教育の場だったという。「なんであんなところにドラゴンがいるの?」とか「なんであの人魚には尾っぽが二つあるの?」と、子どもらが言う。そこから神話や伝統の物語を語らう。(p86)

 

 日本も似ているのだろう。神社の狛犬。鬼瓦やしゃちほこ。そこには意味があった。それを語らう機会を生んだ。むしろ、装飾を楽しむには教養がいる。タモリさんがどこを歩いても楽しいのは、地学・歴史に深い造詣があるからだ。

 

 個人で建築を変えるのは難しい。代わりに、文脈を持つ何かを飾ることはできそうだ。息子が幼稚園で書いた絵。夫婦の思い出の品。そうしたものをもっと大切にしてみる。「あれは何?」と問われる状態に準備する。それも一つの「楽しさの自給」だと感じた。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

僕らの社会主義 (ちくま新書 1265)

僕らの社会主義 (ちくま新書 1265)

 

 

 バラをないがしろにすることがいかにストレスかは科学的にも立証されているようです。それを学ぶ教科書として北欧の研究者による「STOP STRESS」がおすすめです。

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 社会主義を考える機会はめっきりありません。すっかりとっつきにくい。本書もさることながら、オードリー・若林正恭さんがキューバを旅した「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」も非常に読みやすいです。

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