読書熊録

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奇跡があると信じてみることー読書感想「百貨の魔法」(村山早紀)

 魔法ってあるんじゃない。奇跡があってもおかしくないかも。そう信じられることが希望であり、奇跡だ。魔法だ。村山早紀さんの小説「百貨の魔法」を開いて、閉じて。感じたものは、そんなふうな穏やかな光だ。

 戦後復興の象徴として慕われた地域の百貨店。従業員は傾きつつある情勢を感じつつも、懸命に働く。その百貨店には、不思議な伝承がある。ステンドグラスを抜け出した「白い猫」に出会えれば、願いを叶えてくれる。不思議としか言いようがない灯火が、現実を照らす。ポプラ社。2018年本屋大賞ノミネート作品。

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百貨の魔法

百貨の魔法

 

 

それはお守りみたいなもの

 舞台は「風早の街」。古くからの商店街を抱え、最近は駅前開発も盛んだ。第二次世界大戦で焼け野原になった街の復興を象徴した、「星野百貨店」。創立50年、記念すべき年を迎えたものの、業績は芳しくない。食堂で、BGMに映画タイタニックの音楽が流れる。それが沈みゆく未来に感じられるほどには、従業員も行く末に不安を抱く。

 

 5章の物語は一編ごとに主人公を変え、群像劇を描く。第1章「空を泳ぐ鯨」は星の百貨店のエレベーターガール松浦いさなが主人公を演じる。その後も、テナントの靴店の店員、宝飾品売り場のマネジャーと、百貨店を支える人がスポットライトの下に立つ。傾きかけた百貨店を、愛してやまない人たちだ。

 

 どの物語も、主題は「夢」や「魔法」。歯が浮く印象を抱くかもしれないが、主人公たちはむしろそうしたものにちゃんと懐疑的な大人だ。奇跡があったらいい。でも、現実はそんなことはないだろうと、分かってはいる。

 

 そんな大人にとって魔法とは何か。それが「百貨の魔法」の主題なのかもしれない。

 

 星野百貨店には、天井部に美しいステンドグラスがある。創業者が肝いりで作った。トレードマークの朝顔。そして、白い猫。その猫がすっと抜け出して、館内を闊歩するとの噂がある。片目ずつ金銀のオッドアイ。特に子どもが好きらしい。その猫に出会えれば、願いを1つだけ、叶えてくれる。猫を探しに訪れる子どももいるほどだ。

 入社したてのいさなは、お客から猫の話を聞き、同僚に詳しい中身を尋ねる。そんな不思議なことってあるかしら。そう思う時、同僚にこう語られる。

 ゆかりは優しい声で、

 「おとなの役割はきっと、子どもを無理に夢から覚ますことじゃないわ。でね、魔法の夢を見ていた時代は、あとできっと、幸せな思い出になるの。辛いことや悲しいことがあったときに、奇跡を信じた記憶は、心の中のお守りみたいなものになると思うの」(p22)

 この言葉の根底には、奇跡はないだろうとの諦めも、もちろんある。現にゆかりはこの後、「願い事を叶えてくれる魔法の子猫が、ほんとうにいてくれたらいいのにね」とぼやいてみせる。それでも。魔法があるかもしれないと思うことが、お守りになる。たしかにそう思ってみるのも素敵かもしれない。

 

 主人公や、その周囲で舞台に立つ人は、みんな魔法があればいいと思っている。魔法があれば叶えたい思いや、治したい過去の傷跡がある。果たして星野百貨店に「魔法の子猫」はいるのか。それは物語を開いての、お楽しみにしてほしい。

 

夜空の星

 読者にとって、主人公たちが語る、出会う言葉が一つの魔法のようでもある。はっとさせられて、心に残る宝石のようなものでもある。

 

 第3章の「夏の木馬」で登場する言葉が好きだ。百貨店の顔、宝飾品フロアーで長年勤める佐藤健吾が軸になる。母と二人、幼い頃に訪れた思い出の地が星野百貨店だった。母とあるきっかけで離れ、大人になり、その場所を生涯の仕事の場に選ぶ。特にきらびやかで、引き込まんばかりの宝飾品フロアに、虜になった。

 その美しさの深淵を、こんな風に語る。

 それはたぶん、星空を見上げるような気持ちに似ている。ーー手が届かないからといって、星は美しくないだろうか。その煌めきを地上から見上げない、なんてことがあるだろうか。(p175)

 これは、星野百貨店の「魔法の子猫」にも言えることなんだろうと思った。自分はその奇跡に、触れられないかもしれない。でもその不思議の尊さは揺るがない。手が届かないからといって、星が美しくないことにはならない。むしろ見上げるだけの存在が、希望といってもいい。

 

 経験豊富で、根を張った木のように質実剛健な佐藤もまた、どこかで「魔法の子猫」を待っている。彼がもし、願いを叶えてもらうのなら。小さな、小さな夢に、心を打たれないわけにはいかなかった。

 

ある不思議

 魔法の子猫が歩く、かもしれない星野百貨店。いまもどこか牧歌的なこの店は、果たして生き残れるのか。主人公たちの不思議な日々の陰で、切実な問題は進行して止まらない。

 その答えのヒントは、もう1つのある不思議に関わるかもしれない。物語を読み進めると、ある女性が毎回、登場することに気付く。今年から新設された「コンシェルジュ」の芹沢結子だ。

 すらっとして、物腰が柔らかで。跳ねるように軽く、百貨店内を動き回りながら、いつのまにか出勤し帰宅する。おかしなことに、誰も自宅を知らないし、プライベートもよくわからない。

 いったい、結子は何者なのか。糸を解きほぐすように、その不思議は解消されていく。

 

 いつの間にか、星野百貨店を慕い、愛する人の列に自分も連なっていることに、読者ははにかむはずだ。この百貨店が、ずっとずっと続いてほしい。どうか魔法の子猫よ、聞き入れてほしい、と。そう思えたことがまた、一つの希望である。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

百貨の魔法

百貨の魔法

 

 

 「百貨の魔法」と同じくらい、穏やかな希望を示してくれた。そんな本として頭に浮かんだのは平野啓一郎さんの小説「マチネの終わりに」でした。未来だけでなく、過去を見つめる中で。希望は描ける。そんな物語です。

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 見えないものにも目をこらすこと。その大切さをノンフィクションで伝えるのは、バズフィードジャパンの記者、石戸諭さんの「リスクと生きる、死者と生きる」です。東日本大震災をテーマにしながら、大きな主語では語らない。徹底的な個人の言葉に向き合ったルポです。

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