読書熊録

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学ぶと楽しく生きられるー読書感想「『行動経済学』人生相談室」(ダン・アリエリー)

 勉強が苦手だというひとには、この「『行動経済学』人生相談室」をおすすめしてみてほしい。深夜ラジオのように、学者さんのダン・アリエリーさんが様々なお悩みに答えてくれる。彼の専門、行動経済学は、恋から資産運用、引っ越しもお昼のビュッフェも、ちょっと上手になれる。少し生きやすくしてくれる学ぶということは、こんなに楽しいんだ。そう教えてくれた一冊でした。櫻井祐子さん訳。ハヤカワ・ノンフィクション文庫。

 

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フランクに行動経済学を学べる

 本書はアメリカの「ウォールストリート・ジャーナル」に読者から寄せられた質問に、デューク大教授のダン・アリエリーさんが答えていくというもの。

 ダンさん(読者はたいてい「親愛なるダンへ」と書く)は行動経済学の専門家。邦訳された著書「予想どおりに不合理」「不合理だからうまくいく」を書店で見かけた方も多いと思う。行動経済学とは一言でまとめると「人間の本性と経済の関わり」。どうして合理的経済モデル通りに人間は行動しないのか、そこにどんな「原理」があるのかを解き明かす学問のようだ。

 

 ダンさんの回答はいずれも1~2ページで短くまとめられているが、そこには行動経済学のエッセンスがちりばめられている。ハウツー本よりも一層マイルドに、心に沁みるように、学びが入り込んでいく。

 

 たとえば序盤、バーバラさんというお母さんから「35歳の息子はニューヨークから私たちのいる西海岸に引っ越したがっているが、知人らは反対していて、ためらっているようだ。息子を説得するにはどうしたらいい?」とお悩みがくる(p26-27)。

 

 ダンさんは、このお悩みを「なぜ人は納得できなくても現状維持をしようとするのか?」という問いに置き換える。そして「意思決定バイアス」という行動経済学の原理で説明を試みる。

 このバイアスには三種類がある。まず「授かり効果」。人は現状を基準に考えてしまい、それだけでなく、現状以外の選択肢をネガティブに評価してしまうという心理のことだ。これにより、西海岸のメリットが見えにくくなる。

 続いて、「現状維持バイアス」。これは、現状維持は「選択」と思えない心理のことだ。今回、ニューヨークに残るとしたら、それは「引っ越さない」という選択のはず。でも現状維持は「何も選択しない」に思え、能動的な他の選択肢と同じにとらえられないのが人の心だという。

 最後に「不変性バイアス」。これは二度と変更できないように思える(不変性)選択を迫られると、怖じ気づいてしまう心理のことだ。三つの「意思決定バイアス」が絡み合うと、西海岸とニューヨークの二つの選択肢を「冷静に比較」できず、ニューヨークに残る方を選びやすくなる。

 

 では、バイアスを踏まえた上で、西海岸に引っ越すことを検討してもらうには、どうすればいいだろう。ダンさんは、引っ越しを「六カ月のトライアル」と言い換えてみては?と提案する。

 トライアルなら変更可能だし、「不変性バイアス」をクリアできる。一度、西海岸にきてみれば、ニューヨークを基準にした「現状維持バイアス」からも抜け出せる。さらに住み始めてしまえば、今度は西海岸が「授かり効果」を発揮する。

 

 思わず拍手をしたくなる。すごく素敵だし、かつ勉強になるお話だ。

 

ユーモアたっぷり

 ダンさんにはユーモアがある。時にぴりりと辛い、ブラックさもある。だからお悩み相談がどれも軽妙になり、楽しく学べる。

 

 短い文章でそのユーモアが伝わるのは、「老後資金を確保するよう促すには、どうすればいいだろう」というベンさんからの質問への回答だ。

 人々が老後に十分な資金を用意できるように手助けをする方法は、基本的に二つある。一つは貯蓄額を増やすよう、まだ若いうちから貯蓄を始めるよう促すこと。もう一つは、早く死なせることだ。このうち簡単なのは、早死にさせる方だね。具体的にはどうするか? 喫煙を勧め、糖分や脂肪分の高い食品に補助金を与え、予防医療を受けにくくするといった方法がある。そう考えると、この問題に関してはすでにあらゆる手が講じられているようだね。(p66)

 米社会をチクリと刺しながらも、嫌みじゃない。落語家のような、おかしみがある。

 

「実験」という優しさ

 最初に紹介した「意思決定バイアス」の他にも、「協調問題」「消耗」「反事実」など、これを知っておけばうまく悩みをいなせそうだという原理、理論が本書には溢れている。どれもこれも、本格的に学ぼうとしたら教科書が必要だろうけど、さくさく読めて楽しく学べる。

 

 その中でもダンさんが繰り返すポイントは、「実験」だと思う。

 

 「今の彼女と結婚するべきかしないべきか」という質問や、「運がいい人って本当にいるんでしょうか」という質問への回答に、この「実験」という言葉が登場する。後者の回答でダンさんはバスケットを例に出す。

 運のいい人はいろんなことをしょっちゅう試していて、頻繁に試す分、成功することも多いんだ。たとえば、一〇〇%確実なときにだけシュートするバスケットボール選手がいるとしよう。彼はこの戦略で、一試合につき三ゴールずつ確実に決める(三シュート×一〇〇%の確率)。さてこれを、成功率は五〇%だが、毎試合三〇回シュートする選手と比べてみよう。二人めの選手はこの戦略で、毎試合一五ゴール決める(三〇シュート×五〇%の確率)から、ずっと多くの得点を稼げるだろう。(p250) 

 確実にシュートを決める選手よりも、半分しかシュートが決まらない選手がたくさんシュートを打った方が得点を稼げる。実験を重ねれば重ねるほど、そこに「成功」が混じる可能性がある、という話だ。

 

 これは合理的ではないけど科学的だと思う。それが行動経済学の要諦なのかもしれない。人間は合理的じゃないけれど、科学の力をかりて頑張れば、そこそこいい感じで生きられる。この考え方の根っこには、「不合理でも良いじゃない。失敗してもまあいいでしょう」という、優しさがある気がする。

 

 ダンさんは、どんな質問にも肩を並べるように答える。原理を持ち出しても、高みからの物言いにならない。それは行動経済学そのものが、人間的で優しいからなんだと思う。本書を読むと、ダンさんが好きになる。そして行動経済学も、好きになった。

 

 今回紹介した本はこちらです。

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 一見堅苦しい行動経済学も、生活にいかせる。同様に、左翼的で危険だとすら思われがちな「社会主義」を暮らしのスパイスにしようという試みが、「僕らの社会主義」です。対談形式で、こちらも読みやすい一冊。 

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 もっと切実に、生きることが苦しいとき。そんなときにも学問や知識は、私たちを支えてくれます。シェリル・サンドバーグさんの「OPTION B」は心理学の中からレジリエンスというエッセンスを紹介し、逆境や絶望への向き合い方を教えてくれます。

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