読書熊録

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ゴッホが本当に描きたかったものー読書感想「たゆたえども沈まず」(原田マハ)

  ああ、この物語の世界が終わってしまう。先を読みたい気持ちと、終わりに近づく悔しさと、「たゆたえども沈まず」を読んでいる間に気持ちが行ったり来たりする。「楽園のカンヴァス」などアートを題材にした小説を多く書かれている原田マハさんが本作で取り上げるのは、ゴッホ。浮世絵の影響や、不安定な精神状態、なかなか評価されない才能。波乱の画家人生をたどったゴッホが、「本当に描きたかったもの」とは何なのか。原田さんの圧倒的筆致で浮かび上がります。幻冬舎。2018年本屋大賞エントリー作品。

 

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たゆたえども沈まず

たゆたえども沈まず

 

 

 

19世紀パリの「革新」

 「たゆたえども沈まず」は、ゴッホの物語ではなく、ゴッホと彼を取り巻く人々の物語だ。そこには、ゴッホが多大な影響を受けた浮世絵を「ジャポニズム」としてパリに広めた日本人も含まれている。なお、本作は史実を元にしたフィクションという。

 

 1886年。林忠正は単身パリに渡り、完璧な紳士の振るまいと抜け目ない商才を武器に、次々と浮世絵を売りさばいた。彼の後輩で、同じくパリに恋い焦がれていた加納重吉も後を追う。忠正ほどの切れ者ではない代わりに、朴訥として誠実、その人柄がふんわりと人を和ませる好人物だった。

 

 忙しく画廊を切り盛りする中で重吉は、王道の西洋美術を扱う画商テオドールと仲を深める。テオには兄がいた。かつては同じ商会で働いていたものの、人生につまづき、目指し直した聖職にも就ききれず、画家見習いの兄。それが、フィンセント・ファン・ゴッホ。亡き後に「ひまわり」や「星月夜」が絶賛を浴びるゴッホも、この頃はまだ無名の、ただただ貧しい絵描きだった。

  重吉とその上司であり、憧れの忠正。テオと未完の画家であるフィンセント。4人の人生が花の都、パリで交錯し、物語が動き出す。

 

 美術への教養が全くない自分も楽しめた。当時、ナポレオン亡き後のパリは共和制が定着し、経済的な繁栄をほしいままにしていたこと。有り余る富が次々と絵画に投資され、美術界が盛り上がっていたこと。その中で、閉鎖的な業界に反旗を翻す形で、写実的な伝統手法とはまったく異なる「印象派」が勃興していたこと。そうした背景が、流れるような文章とともにすっと頭に入ってくる。

 

 印象派が象徴する「革新」が、本作の中で何重にも描かれるモチーフに感じた。

 

 忠正や重吉は「日本人」=「東洋人」として、当時のパリでは笑われ者だった。野蛮とさえ言う人もいた。彼らはパリ社会の異邦人であり、存在そのものが「革新」だった。

 フィンセント・ゴッホの作品も、「革新」の先を行く「革新」だった。印象派にさえくくれないような、独特の世界観。画家として憧れの街であるパリで、彼は決して主流ではなかった。

 「革新」は現在を塗り替えるだけに、現在は「革新」の受け入れをためらう。ゴッホも、重吉らも、パリにとってそれぞれの意味で「異邦人」だった。歩き始めた「革新」とは「異端」であることに、苦悩がある。

 

たゆたえども沈まず

 ゴッホという画家が、何を描こうとしたのか。彼が描こうとしたものは、「本当に」彼が描きたかったものか。その問いに肉薄するにあたり、本作はその書名、「たゆたえども沈まず」を一つの鍵にする。

 

 最も胸に響いた一節はもちろん、この書名の意味に直結する部分だ。だからこそ、ここで紹介してその言葉に出会う楽しみを奪ってはいけないと思う。代わりに、この言葉に関わる重要なもの、「川」について、原田さんの素敵な描写を紹介したい。

 

 それは、パリを流れるセーヌ川。物語後半、川沿いを忠正と連れだって歩く重吉の目線だ。

  心地よい川風が頰をかすめて通り過ぎてゆく。夜九時を過ぎ、ようやく太陽が退場しようとしている。その代わりに黄昏が静かに迫っていた。

 橋の上から川上を眺めると、こんもりと緑が生い茂るシテ島の先端の向こうに、アンヴァリッドの金色の丸屋根が見える。そしてその向こうには、ひと月ほどまえに竣工したばかりの鉄の塔、エッフェル塔が屹立していた。次第に暮れなずむ空の中で、天を突き刺す剣のようなシルエットに変わっていくこの塔を気に入らないパリ市民は少なくなかった。が、ここから眺める鉄の塔は、天に向かって「この指とまれ」と無邪気に差し出された人さし指のように見えた。(p335)

 一つ一つの言葉が粒のように、ぎっしりと情景を含んでいる。遅い夕暮れ。柔らかい風。批判もありながら、受け入れられ始めようとするエッフェル塔。その景色が立体感を持って立ち上がってくる。

 

 たゆたえども沈まずという言葉は何度か物語で登場し、そのたびに深さを増す。それは、原田さんの描く世界が豊かで、絵画が完成に近づくように、その色彩が輝きを増していくことにも起因しているように思う。

 

 後世にて19世紀を振り返る読者は、ゴッホが存命中は不遇だったことを知っている。その作品が死後になってようやく、評価されたことを知っている。しかし「たゆたえども沈まず」を読む間、どうか彼に幸福が舞い降りることを祈らずにはいられない。そして、苦悩の先に生まれたゴッホの絵を、改めて尊く思うようになる。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

たゆたえども沈まず

たゆたえども沈まず

 

  

 「たゆたえども沈まず」はパリの景色が目に浮かぶような作品でした。ジャンルはSFと違いますが、小川哲さんの「ゲームの王国」も、舞台となるカンボジアが濃厚に描き出されている小説で、おすすめです。

www.dokushok.com

 

 大河ドラマのような骨太な物語。本書と同じくらい、言葉が躍動するものをノンフィクションから選ぶとすれば、アフガニスタンの米軍前哨での激闘をレポートした「レッド・プラトーン」を挙げます。戦場の匂いがするような作品です。

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