読書熊録

本に出会う歓びを、誰かと共有したい書評ブログ

明日ここに留まれないとしてもー読書感想「マレ・サカチのたったひとつの贈物」(王城夕紀)

 意思に反して、突然、世界のどこかへテレポーテーションしてしまう奇病「量子病」になった女性の物語。王城夕紀さん「マレ・サカチのたったひとつの贈物」は、SFの世界観の中で、明日にもその場に留まれず、何も「残せない」「積み上げられない」生に意味があるのか、問い掛ける。そして導いてくれる。どんな状況であっても生きることは尊いという希望へ。中公文庫。

 

f:id:dokushok:20180410173607j:plain

 

 

マレ・サカチのたったひとつの贈物 (中公文庫)

マレ・サカチのたったひとつの贈物 (中公文庫)

 

 

1秒後の居場所を予想できない生活

 主人公坂知稀は、漁村で生まれ、都会の大学で学んでいた若い女性。ある日彼女は、突然、本当に思いがけない瞬間に、どこかへ「転移」してしまう。研究者との意見交換会の最中に、忽然と消えたこともある。2週間、3週間の間をあけることもあれば、1分後にそれがやってきてもおかしくない。

 

 それが「量子病」だ。

 確認されている症例はようやく二桁台の奇病だった。治療法はない。

 

 量子病は量子力学が由来になっているようだ。物語の始まりは、稀がかつて受講した量子力学の講義からスタートする。きっとこの講義を思い出しただろう、と。

 電子や光といった、ミクロの物体は、観測してない状態では「波」だが、ひとたび観測すると「粒子」としてしか見えない。

 波であり、粒子である「量子」は、位置と速度を「確定できない」。我々もそうしたミクロの集積であり、次の瞬間どうしているかは非決定的である。「量子病」はまさにそんな理論を表出かもしれない。

 

 稀は、留まれない。明日、ヨーロッパにいるかもしれないし、アフリカの戦場にいるかもしれない。ではそこに安住できるかといえば、次の瞬間、アジアの片田舎かもしれない。いつ「跳ぶ」のか。どこへ。何一つ、誰にも分からない。

 

「ワールドダウン」した世界

 稀が生きる世界は、私たちの世界とは少し違う。

 

 そこでは「ワールドダウン」という世界同時不況が起きた。

中国のバブル崩壊に端を発する、アメリカ、日本、フランス、インドの同時経済破綻。ニュースが黒い色に染まった一年、ブラックイヤー。(p10)

 本作の単行本が発売されたのは2015年。今よりもちょっと先の未来で、少し悲観的に、つまづいた経済状況を描いているようだ。

 

 ワールドダウン後の世界では「祝祭資本主義」という経済思想が席巻している。富めるものと貧しいものの格差が広がった。いわゆる中間層の購買力が望めないのだろう。経済成長のきっかけを祝祭に求め、ワールドカップやオリンピックをはじめとしたイベントを次々とぶち上げている。

 

 しかしそれは貧困層にとっては何の解決にもならず、祝祭をめがけた「祝祭テロ」が勃発する。世界は一層混迷を深める。

 

 稀はそんな世界を「跳ぶ」。テロを起こす側かもしれない。テロの阿鼻叫喚も聞こえない富裕層の元かもしれない。

 

出会う人が彼女を強くする

 旅には意思がある。旅に出ようと思った人にしか、旅は始められない。しかし稀は跳ぼうと思って跳んでいるわけじゃない。それは強制された旅だ。

 

 それでも旅のように、稀が跳んだ先には、出会いがある。出会った人が、出会えた人が、彼女を強くする。

 

 なぜか、何度も跳ぶ先がある。フランスでインターネットのメディアアナリストをしているジャンがそうだ。稀は量子病となった後は、とにかく語学を懸命に学んだ。聡明な彼女は、ジャンや、ジャンの部屋の周辺の人々と語らっていく。

 でも、彼女の跳躍は止まらない。

27(※章の数です)

 

 四日目の朝、人のいない薄明るい街を帰宅すると、彼女はいなくなっていた。

 

28 

 

 彼女の名前で検索してみたが、関係のない検索結果が大量に出てきた。

 どうも日本語で彼女の名前は「めったにない」という意味らしい、とわかっただけだった。彼女が今どこにいるのか、ネットを調べても分からない。これだけ情報が溢れているのに。

 こんなに広かったか、とジャンは部屋を見回した。(p52−53)

 量子病なのは分かっている。それでも稀を見失った人は、ネットで検索してしまう。いないと分かっている部屋を見回してしまう。ただただ、切ない。

 

 ただ稀は、一瞬かもしれない出会いに全力を尽くす。そこで出会った人の言葉を、歌を、振る舞いを、懸命に記憶する。

 ニュージーランドの果てで出会った女性は、稀にこんな言葉を授ける。

 「行きなさい。抗っちゃダメ。流れなさい。できれば、楽しみなさい。そしていつか、貴方が見てきたもの、貴方だけがみてきたもので、新しい選択をするの」

 視界がかすれる。こんなときに、跳ぶのか。(p203)

 

 出会いが強くした稀も、しなやかな言葉を使う。「強さ」が稀を通じて、次の人へバトンとなってつながっていく。ジャンと最初の別れの前、稀はこう語っていた。

 会社に戻るジャンは、大通りで手を上げる彼女を見て、ふと、立ち止まる。

 「いつも、これで最後の別れになるんじゃないかと思ってしまうよ」

 彼女は、またおどけて微笑む。

 「いつだって、どの別れだって、みんなそうじゃない?」(p41)

 そうだった。明日も会える人に、確かに会えるなんて分からない。いつだって、どの別れだって、それは最後の別れかもしれない。

 だから今日の会話を、ほんの一瞬を侮ってはいけない。幸福な瞬間は思いっきり、幸せに噛みしめるべきなんだ。

 

 帯では、伊坂幸太郎さんが「読めばきっと、時間を無駄にできないな、と思える、うつくしい作品でした。王城さんの作品に多くの若い読者が出会えますように」とコメントを寄せている。全力で同意する。明日ここに留まれないとしても、「マレ・サカチのたったひとつの贈物」を読みたい。読んでほしい。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

マレ・サカチのたったひとつの贈物 (中公文庫)

マレ・サカチのたったひとつの贈物 (中公文庫)

 

 

 

 希望に溢れるのも出会いなら、後悔にあふれ、もしも戻れたらと思うのもまた「出会い」。そんなほろ苦さと、それでも最後には肯定できる優しさがつまった小説が蓮見圭一さんの「水曜の朝、午前三時」です。

www.dokushok.com

 

 ミクロの世界をノンフィクションでも楽しみたい方は、ジェニファー・ダウドナ博士が遺伝子編集技術について語る「CRISPR(クリスパー)」がオススメです。

www.dokushok.com