読書熊録

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ハピネスを可視化するー読書感想「データの見えざる手」(矢野和男)

 ハピネスは可視化できる「感じるもの=定性」から「測れるもの=定量」に置き換えられる。野心的なメッセージをファクトをもって伝えるのが、矢野和男さん「データの見えざる手 ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則」だ。

 

 矢野さんは日立製作所フェローで、データ解析の専門家。体に身につけるウェアラブルセンサで人間をウォッチすると、幸福な人の身体的特徴をビッグデータ化できる。そこから見える法則とは。そして、定性で語られるものを定量にする意味は何なのかを考えさせられる。そこに「ものさしがあるから、ものさしで測れないものが見える」という真理がある。草思社文庫。

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幸福な組織と磁石の共通点

  幸福な人に「あなたは幸福ですか」というのが、幸福度を測る定石だった。それは幸福、ハピネスというものが「心で感じるもの」であると考えられているからだ。「あなたはお金持ちですか」は預金額を聞けばいいだろう。ハピネスはそうやって「定量化」しえないものだと思われている。

 

 矢野さんはハピネスを計測しようと試みる。そのためのツールがウェアラブルセンサだ。名札のような形で、首からぶら下げる。センサはたとえば赤外線センサがあり、いつ人と会ったか分かる。加速度センサで体の動きを検知できる。音量センサで会話の音量、温度センサや照明センサで周囲の状況も記録できる。

 

 その結果、ハピネスと身体活動の総量に相関が見られた。幸せな人ほど体がよく動くのである。

 (中略)つまり、人の内面深くにあると思われていたハピネスが、実は、身体的な活動量という外部に見える量として計測されたことになる。したがって、ハピネスは加速度センサによって測れるのである。

 もう一度いおう。幸せは、加速度センサで測れる。(p82)

 ハピネスは測れる。矢野さんは定性を定量化してみせる。

 

 幸せな人ほど体がよく動くのであれば、体を動かす機会を意図的につくることで、その人、その組織のハピネスは増すことになる。矢野さんは実験で、休憩中の会話といった活動量とハピネス、そして組織の生産量がリンクすることを突き止める。

 

 面白いのが、活発な組織と磁石の生成過程がそっくりだ、という話。つまり人間のメカニズムが図らずとも自然現象に似ている。

 

 磁石のN極とS極ができるのは「磁性体ができる機序」と呼ばれているらしい。磁石の中には「スピン」という微小な磁石があり、隣り合ったスピンには同じ向きに揃う傾向がある。このため、スピンが一方向に揃った状態=SやNが自然発生する。物理学では「協力現象」と呼ばれている。

 矢野さんが実験した組織でも、活発さは人から人へ伝播する。立ち話や世間話は活動量を高め、また別の人を活発にさせることにつながる。磁石がいつのまにか方向を揃えるように、組織が活発な方向へ針を示すようになる。

 

 科学が次々と自然現象を見える化したように、人間の内面の法則も見いだせる。それは無機質な話ではなくて、むしろ我々もやはり「自然」の一部なんだと思い起こさせてくれる。

 

ものさしがあるから

 もちろん、活動量はハピネスとイコールではない。しかし活動量という尺度を持ち込むことで、それまで精神論でしかどうこうできなかったハピネスに手触りを持つことができる。矢野さんは端的に「ものさしがあるから、ものさしでは測れない違いが見える」と表現する。

 

 温度を例にする。矢野さんが面白いな、と思うのが、とっかかりに松尾芭蕉の句を持ってくるところだ。データを専門家にする人だけれど、その懐の広さを感じる。

暑き日を 海に入れたり 最上川

閑さや 岩にしみ入る 蝉の声(p132)

 どちらも夏の「暑さ」を表現しているが、句から感じられる「暑さ」は全く異なっている。最上川と海が交わるところに落ちる夕日。ただただ蝉の音を感じる夏の日。

 

 温度計というものは、この多様な熱をアルコールの膨張をもって温度として可視化する。芭蕉の句のような多様さを持たない温度計の意味とは、なんなのかと矢野さんは思いはせる。

 しかしそれでも、この「温度」を定義し、計測することには、大きな意味がある。温度に影響を受ける機器を設計したり制御したりするには、温度という共通のものさしがなければ、どうしようもない。たとえ、人間が体験する豊かな現実をすべて反映したものでなくとも、まったく「ものさし」がなかったところに、客観的で計測可能な「ものさし」を創ることは、多様な変化を論じるための共通の言語を提供する。さらに、ものさしでは測れない違いも、ものさしがあることにより、むしろ、明らかになるのである。(p134)

 ものさしが生み出すのは、多様性を論じるための共通の言語である。ハピネスは究極的には人それぞれだからこそ、その多様さを少しでも維持できる共通のポイントを探ることはできないか。そこに活動量という尺度の存在価値が出てくる。

 

 ハピネスが活動量で測れ、活動量をもってハピネスを向上できる可能性があれば、「ハピネスは自分でなんとかしろ」という話にはならない。企業や組織にとって従業員のハピネスをコントロールすることがミッションになれる。むしろ、活動量で測れるハピネスを担保しながら、あとは自由自在にハピネスを追い求められる。

 

 まさに、ものさしで測れないもののために、ものさしが必要なんだ。

 

AIが仕事を奪うのか

 本書は2014年に単行本で出版されたが、その内容は現在まで古びてはいない。テクノロジーが人間の可能性を拡張することと、そうしたテクノロジーの進歩との付き合い方を考える、格好の教科書になると思う。

 

 4年前から変わった、増えたのは、「AIは人間から仕事を奪うのか」という漠然としたテクノフォビアだということを矢野さんは意識している。だからこそ、「あとがき」ではその疑問に真っ向から向き合う。

 

 AIと人間の関係性を考える上で、「ルール指向」から「アウトカム指向」へ社会が変わっている、との指摘が大切になる。

 

 ルール指向は標準化の時代性とイコールだ。大量生産、大量消費の社会要請に応えるために、業務をマニュアル化し、「ルールを繰り返し守ること」で生産性を保ってきた。しかし、需要が多様化する、短期間で変化する現在は、こうした固定的ルールを設定することが困難だ。

 

 そこで「アウトカム指向」である。生み出すべき価値を「設定」することからスタートして、それに応じて手段を柔軟に変えることが求められる。守るべきルールがすぐに変化してしまうので、ルール指向はもはや無力化されてしまうからだ。

 この柔軟に手段を変えるというのは、「実験と学習」と言い換えられる。やってみて検証し、軌道修正する。蓄積したデータを解析し、新たな仮説、施策を生み出すツールを探したときに、AIにスポットライトが当たっているのが今である。

 

 矢野さんはこうした分析から、AIは人間から仕事を奪うのではなく、「ルール指向」から「アウトカム指向」への置き換えを「加速」させる道具なんだと説く。

 ここで最初の疑問、「新たなマシンの役割とは、労働の代替でないならば、何であろうか」という問いに戻ろう。

 AIが置き換えるのは、人の労働ではない。従来我々が頼ってきた「ルール指向」という考え方やそれを支える仕組みを、「アウトカム指向」に置き換えるのである。そのような置き換えが起こるのは、我々が求めるものや需要が、一律の標準化されたモノやサービスから、個別性や多様性が高いものに変わったからである。ルール指向からアウトカム指向への変革は、労働の変化も起こすであろう。しかし、それはAIが起こしたのではない。我々の求めることや需要の変化がもたらしたものである。(p269)

 AIが仕事を奪うのではない。「ルール指向」から「アウトカム指向」への変化の中で、働き方や企業のあり方が変わる。もしも仕事がなくなるとすれば、その変化に適応できなかったから、だろう。

 

 テクノロジーは人間とは何かを問いかける。そして人間性を伸ばしていける可能性を感じることができた一冊だった。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

 

 テクノフォビアを抜け出して、テクノロジーを生かせる人間を目指す。議論の方向性は落合陽一さんに似ている気がします。落合論の入門編は「超AI時代の生存戦略」がおすすめです。

www.dokushok.com

 

 人間がテクノロジーによって拡張される、というのは遺伝子科学の世界でも進んでいるそうです。最新の議論、また科学への向き合い方を学ぶにはジェニファー・ダウドナ博士の「CRISPR 究極の遺伝子編集技術の発見」が最適です。

www.dokushok.com