読書熊録

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みんな結局サルであるー読書感想「サルたちの狂宴」(アントニオ・ガルシア・マルティネス)

 フェイスブックの社員も、普通のサラリーマンも、どちらも資本主義の檻の中で奮闘するサルである。本書「サルたちの狂宴」は教えてくれる。

 

 フェイスブックのほかにゴールドマン・サックス、シリコンバレーのスタートアップを経験したアントニオ・ガルシア・マルティネスさん。最先端企業の意思決定も、実際には「社内政治」の産物であることを赤裸々に語る。一方で「カオスモンキー」と呼ばれるスタートアップの破壊力も正確に描き出す。「外」ではなく「中」にいたからこそ書ける内容で、ページをめくるごとにビジネスのスピード感が伝わってくる。まさに読む「起業体験」だった。石垣賀子さん訳。早川書房。

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サルたちの狂宴 上 ーーシリコンバレー修業篇

サルたちの狂宴 上 ーーシリコンバレー修業篇

  • 作者: アントニオガルシアマルティネス,Antonio Garcia Martinez,石垣賀子
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2018/06/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 

 

 

サルたちの狂宴 下 ――フェイスブック乱闘篇

サルたちの狂宴 下 ――フェイスブック乱闘篇

  • 作者: アントニオガルシアマルティネス,Antonio Garcia Martinez,石垣賀子
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2018/06/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ザック帝国の内幕

 「サルたちの狂宴」は上下巻、約600ページの長編ノンフィクションだけど、飽きることは一切ない。軽妙な語り口に加えて、マルティネスさんの経歴には語ることがあまりにも多すぎる。振り出しはゴールドマン・サックスのクオンツ。これは金融商品の価格付けなどを計算式で導く技術職だ。そこから、シリコンバレーのネット広告系のスタートアップに転じる。さらに自らスタートアップを立ち上げ、ツイッター社に売却し、自分自身はフェイスブックのプロダクトマネジャーになっている。

 

 序盤から痺れる。描き出すのは、フェイスブック時代、新たな広告施策をめぐる会議の一幕だ。スピード感、柔軟性、テック親和性、自由度。日本の「おっさん」企業にはないものばかりのキラキラしたイメージは打ち砕かれる。そこで蠢くのは、やっぱり「社内政治」。フェイスブックでは「皇帝」のザッカーバーグ次第だ。こんな風に。

 要点をまとめた一枚目のスライドを、ボランドが大ざっぱに説明した。プライバシー問題は大丈夫なのか、法的に引っかからないかといった、みんなが膨大な時間を費やして議論を尽くした話は全部すっ飛ばしてある。広告の話でザックがすでにうとうとしているとすれば、個人情報保護との兼ね合いの話などしても爆睡してアーロンチェアから転げ落ちるだけだろう。ザックの承認が下りれば、法的になんとかなるよう、あとは僕らが動くだけだ。(上巻p19−20)

 本質的な話をすっ飛ばして、上司の顔色を見て、報告内容を考える。これって、従来の企業となんら変わらない。

 

 あるいは、スタートアップ時代の報復合戦も興味深い。マルティネスさんは「アドケミー」というスタートアップから優秀なエンジニアら2人を連れて「アドグロック」という新しいスタートアップを立ち上げる。投資家として有名なポール・グレアムの支援も取り付け、意気揚々と船出をした直後に、アドケミーが「企業秘密の不正流用」があったとしてアドグロックを訴えたのだ。

 

 スタートアップ同士がリスペクトしあって、既存の業界構造を打破していくのかと思いきや、潰し合いが展開される。アドケミーがアドグロックを潰したところでさほどの意味はないし、明らかにマルティネスさんへの私怨だった。

 

 さらに面白いのは、ここでのマルティネスさんの判断。漕ぎ出したばかりのアドグロックに訴訟費用の負担がのしかかれば、とても立ち行かない。どうするか。

 (中略)弁護士費用で月二万ドルが出ていくのに加え、給与や諸経費も計算すると、よくて九カ月から一年後には水中で息絶えることになる。

 この見通しは二人には教えなかった。間違いなく意欲を奪うだけだ。投資家にも見せなかった。こんなものが出回れば、スタート地点ですでに死んだも同然だ。

 というわけで、僕はうそをついた。

 請負人コールが計算した訴訟費用をかなり少なく書き換える一方、計画中だった新プロジェクトの立ち上げを来月に前倒ししてすぐに現金が入ってくるように見せた。(上巻182p)

 うそをつくんかい! でも、すごくいい。あの手この手を使って契約を取り付けたり、粉飾ぎりぎりで局面を切り抜ける判断。泥臭さがある。

 

深淵へ突っ込むならまっさかさまに

 スタートアップも普通の企業と同じくらい泥臭い。そこで働く「会社員」はいずれも、資本主義の拘束の中にいるのは間違いない。マルティネスさんはキューバ移民というバッググラウンドを持っていて、このあたりの大局観はとってもシニカルだ。

 ツイッターで常に金言を発信し続ける@GSElevatorの言に「共産主義の世界では人はパンを得るために列をつくる。資本主義の世界ではiPhoneを手に入れるために列をつくる」というのがあった。たしかに、パンよりはiPhoneのほうがいい。基本的な生活水準も資本主義の国のほうが高い。でも個々の人間がその生においてする経験は、労働者の視点でいえば資本主義も共産主義も似通っている。(下巻123p)

 究極的に言って、フェイスブックで働こうが伝統的企業で働こうが、現金収入をなんとかして獲得し、資本主義社会でサバイブすることは同じだ。マルティネスさんは、サンフランシスコの高騰する住宅費や子どもの学費のために、アマゾンやフェイスブックから「降りられない」友人を幾人も知っている、と語る。

 

 ではサラリーマンと起業家を分けるものはなんだろう?マルティネスさんを見ていると、それはリスクやハプニングへのメンタリティだと思わされる。

 シリコンバレーでの起業というすさまじい荒波の中で、なんとマルティネスさんは当時の交際相手との間で子供を授かる。いや、授かってしまうという感じだ。

 「妊娠してる」

 ガタッ。

 これが人生か。

 くそっ。

 丸天井のあるすみかで神が笑うのが聞こえた。あれこれ計画しているうちにいろいろなことが起きるのが人生。そのとおりだ。

 (中略)

 深い混沌の淵へ飛び込むときは、頭からまっさかさまに落ちていくほうがいい。(p80)

 深い混沌の淵へ飛び込むときは、頭からまっさかさまに落ちていくほうがいい。これだ。「淵へ飛び込まない」という判断をしないところが起業家だ。実際、マルティネスさんはこのまま起業の道へ突っ走る。この判断軸は、訴訟リスクによって生じたピンチを「うそをつく」という判断で乗り切った時と共通する。

 

カオスモンキーの力

 リスクテイクするサル。それが起業家であり、スタートアップだ。マルティネスさんはまさに、スタートアップを「カオスモンキー( Chaos Monkeys)」と呼ぶ。本書の原題もまさにカオスモンキー。これを「サルたちの狂宴」と邦訳するするのは、心憎いなあと通読して思う。

 

 もともとカオスモンキーは、システム構築において意図的に障害を起こし、実際にサービスをローンチした後のトラブルに対応できるかテストするツールのこと。マルティネスさんは、「社会」という巨大なシステムにおいてスタートアップはカオスモンキーなんだと語る。

 象徴的にいえば、テクノロジー系の起業は社会にとってのカオスモンキーだ。ウーバーならタクシーの営業許可、エアビーアンドビーなら従来のホテル業界、ティンダーなら出会いのスタイルという、どれも既成概念のケーブルを引っこ抜く行為にあたる。ベンチャー企業が大胆な発想で生み出したにわかづくりのソフトに、既存の業界がつぎつぎになぎ倒されていく。シリコンバレーはカオスモンキーが飼われている動物園で、その数はやがて増えていく。ベンチャーキャピタルが急増し成長すれば、エサのバナナが不足することはない。そこで社会が問われるのは、新たな事業を始めたカオスモンキーが暴れだしても無傷でいられるのか、そこで人はどんな犠牲を払うことになるか、なのだ。(上巻134−135p) 

 ウーバーやエアビーやティンダーは、タクシーやホテル、出会いといった既存システムに揺さぶりをかける。そこで問われるのは、社会がどう反応するか、そしてどんな犠牲を払うかである。この指摘は今も有効だし、今後ますます切実さをますだろう。

 

 ウーバーだけをとってみても、その事業範囲は拡大している。ニューヨークでは「規制」という反応でこのカオスモンキーを鎮めようとしている。日本でも同様の反応があっておかしくないし、カオスモンキーを最終的にどう社会へ包摂していくかは、いまだ誰も答えを持ち合わせてはいない。

 

 今回ご紹介した本は、こちらです。

 

サルたちの狂宴 上 ーーシリコンバレー修業篇

サルたちの狂宴 上 ーーシリコンバレー修業篇

  • 作者: アントニオガルシアマルティネス,Antonio Garcia Martinez,石垣賀子
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2018/06/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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サルたちの狂宴 下 ――フェイスブック乱闘篇

サルたちの狂宴 下 ――フェイスブック乱闘篇

  • 作者: アントニオガルシアマルティネス,Antonio Garcia Martinez,石垣賀子
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2018/06/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 本書はドロドロとした内幕を描くけれど、成功譚としてのスタートアップ物語もまた面白い。カオスモンキーの一つに数えられるエアビーの最初のストーリーブック「エアビーアンドビーストーリー」がオススメです。

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 カオスモンキーは日本でも生まれているし、これからも生まれるはず。たとえばライブ動画サービスの「showroom」もその一つ。起業家の前田さんの言葉に耳を傾けるなら「人生の勝算」がオススメです。

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