読書熊録

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人生を砦にしないー読書感想「タタール人の砂漠」(ブッツァーティ)

 小説「タタール人の砂漠」は、人生の「罠」を描く。それは軍人が勤める辺境の「砦」。退屈で価値がないはずの砦に縛られた時、人生もまた砦のように硬直化する。

 

 1940年、イタリア人作家ブッツァーティさんが発表した古典作品。当時は「幻想文学」として注目を集めた本作が、現代ではある種の「ブラック企業小説」とも読めるのは面白い。良き人生を歩むための答えを示しはしないけれど、ヒントは詰まっている。脇功さん訳。岩波文庫。

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タタール人の砂漠 (岩波文庫)

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

 

 

来ない敵を待ちわびて

 「クォーターライフ・クライシスに効く本ってなんだろう」とTwitterでつぶやいたところ、あるフォロワーさんから「タタール人の砂漠」をお薦めいただいた。クォーターライフ・クライシスとは、20代後半から30代に掛けて「自分の人生はこのままでいいのか」と漠然とした不安に囚われる心理現象をいう。読んでみてなるほど、人生について、特に「退屈な人生」について考えさせられる物語だった。

 

 主人公ジョヴァンニ・ドローゴはある国の若手軍人で、士官学校を卒業し、将校(中尉)となる。配置されたのは、北部の「バスティアーニ砦」。街から離れた山間部にあり、国境線を守っている、とされる。

 しかし、実際には、北部にある国と軍事的な緊張は高まっていない。砦の向こうには荒涼とした砂漠が広がるばかりだ。ルーティーンの警備のほかに、やるべき仕事は何もない。

 

 なのに、砦の面々をはじめとして「砂漠の向こうにはタタール人がいる」と語る。強力な軍事力を持つ騎馬民族が、いつ攻めてくるか分からないと信じられている。「タタール人の砂漠」を恐れて、バスティアーニ砦にはいまだ一級品の宿舎、設備、食事が完備されている。

 

 バスティアーニ砦は古い組織、硬直化した組織の象徴と見ることができる。かつては必要だったかもしれない。国境を守るという使命は本物だったかもしれない。しかし、いまやその使命に頑なになっている。砦という手段がいつの間にか目的化し、その目的を守るためだけに仕事が組み立てられている。

 

 作者は地の文や、他の登場人物の言葉を通じて、ドローゴにいち早く砦を出るように促す。そんな無用な仕事に時間を費やすうちに、青春はあっという間に過ぎ去るんだと警告する。このときの青春の描写が、悲しくも美しい。

 そのときまで、彼は気楽な青春期を歩んできたのだった。その道は若者には無限につづくかに見えるし、また歳月はその道を軽やかな、しかしゆっくりとした足取りで過ぎて行くものだから、誰もそこからの旅立ちに気がつかないのだ。

 (中略)

 だが、あるところまで来て、本能的に後ろを振り返ると、帰り道を閉ざすように、背後で格子門が閉まりかけている、そしてあたりの様子もなにか変わってしまっていることに気づく、日はもう頂点にじっと留まってはいず、急に傾きはじめ、もはや留めるべくもなく、地平線に向かって落ちて行く、雲はもう蒼穹にゆったりと漂ってはいず、次々と折り重なるように、足早に逃げて行く、雲も急いでいるのだ、時は過ぎるし、道はいずれは終わることが分かっているからだ。(p72−73)

 そうなんだ、まさにそうなんだと読みながら頷いた。がむしゃらに働いた20代の終わりに来ると、急に来た道を振り返りたくなる。すると、景色が変わった感覚を抱く。門が閉まりかけている。

 

 青春は旅立ったことには気かないけれど、振り返ると扉が閉まりかけているもの。まさにそうだから、自分が砦にいないかどうかを、なるべく早く点検すべきなんだ。

 

砦に引き止める「麻痺と甘み」

 ドローゴは砦を離れられるのか。それが物語の一つの根幹になる。結末はもちろん明かすべきではないけれど、これは面白いし示唆的なので、一つ中盤のシーンをネタバレさせてほしい(ネタバレなしで読みたい方は引き返してください。お手数おかけします)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 実はドローゴは、一度砦を抜け出すチャンスを逸するのだ。それも、自らそのチャンスを放り出し、砦にとどまる決断をしてしまう。着任時、砦の無意味さと退屈さに辟易として、いっときでも早く転任したいと上司に懇願していたのにも関わらず。なぜか。なぜ、砦を嫌だと思っていた若者は砦を抜け出せなかったのか?それを考えるのが非常に興味深いと思う。

 

 手段は簡単だ。軍医との健康診断で、心臓に問題があると虚偽を書いてもらい、別の勤務地にしてもらうのだ。たったそれだけ。しかし、ドローゴは診断の終盤で「軍医どの、軍医どの」と呼び止め、虚偽診断の撤回を願い出る。「軍医どの、その書類を破り棄ててください」。

 なぜか。著者は、あるいはドローゴの内心は、こんな風に解説する。

 たとえらっぱの響きや、軍歌を聞いたとしても、あるいは北から不穏な知らせが届いたとしても、ただそれだけなら、ドローゴはやはり砦を去っただろう。しかし、もう彼のなかには習慣のもたらす麻痺が、軍人としての虚栄が、日々身近に存在する城壁に対する親しみが根を下ろしていたのだった。単調な軍務のリズムに染まってしまうには、四か月もあれば充分だった。(p107−108)

  ドローゴが居残ったのは、タタール人から国境を守る「使命感」だけではなかった。「習慣のもたらす麻痺」「軍人としての虚栄」「身近な城壁への親しみ」。それらが心身に深く染み込んでいたのだ。これは重要な指摘だと思う。

 

 退屈で無価値なはずの砦にも、人は適応してしまう。もちろんそれ自体が幸せならば歓迎すべきことだけれど、「出たいのに出られない」という状況に絡め取られるのは、恐ろしいことだ。その要因の一つに「習慣」や「麻痺」があることは、強調してもし過ぎることはない。

 

 さらにドローゴの心には別の感情も芽生える。これも注目だ。

 その場にひとり残ったドローゴは、ほとんど幸せな気分に浸っていた。彼は砦に残ることにした自分の決心を、さだかならない将来の至福のために小さい確かな喜びを棄てるほろ苦さを、誇りとともに味わっていた(そしておそらくその気持ちの底には潮時が来たら砦を去るのだという心慰む思いがひそんでいるのだった)。(p113)

 ドローゴは麻痺していると同時に、「甘さ」も噛みしめていた。いつかタタール人と闘うかもしれないという名誉のために、進んで退屈の苦しみを受け入れること。その「ほろ苦さ」を受け入れる独特の「甘さ」が、ドローゴをこの場に引き止めている。

 

 逆にしてみれば、もし自分の心に「麻痺」と「甘さ」があるのであれば、知らずのうちに「砦」に縛られている可能性もある。

 

砦を抜けるか、砦にしないか

 物語は300ページ超あって、ここからドローゴが砦を抜けるかどうかは、まだまだ曲折あるストーリーだ。著者は一貫して「砦を抜けるか、砦にとどまるか」を選択肢にする。その間の揺らぎをもって、人生の難しさを問いかける。

 

 でも、果たして人生は「砦を抜けるか、砦にとどまるか」の二択なのだろうかと考える。読みながら、実は「砦を砦にしない」という道もあるんじゃないか、と思えてくる。

 

 バスティアーニ砦はなぜ退屈なのか。それは、国境線を守るという形骸化した目的に固執し、かつて栄華を誇ったままの体制であるからだ。そう考えると、改革が容易なのはわかる。冷静に国境警備の状況を分析すれば、バスティアーニ砦は限りなく「簡素化」、あるいは思い切って「無人化」すらできそうだ。

 あるいは、砂漠の探索事業を立ち上げるという手もある。バスティアーニ砦を支えているのは「砂漠の向こうにタタール人がいる」という幻想。だったら「タタール人はいない」ことを確認できさえすれば、この砦のあり方は変えられる。

 もちろん砦には古参の軍人もいて、変わらない砦にアイデンティティを抱く上司も多数いる。そこは動かしようだ。「改革を成し遂げた軍人として名を刻めますよ」とでも言ったり、軍本部に根回しをすれば、そのあたりはクリアにできそうな気がする。

 

 砦が人生に重くのしかかる「砦」であるのは、必ずしも自明じゃない。「砦」そのものを変えてしまうという発想があれば、実は砦にいながらにして砦を抜け出すこともできるように思えた。

 

 今回紹介した本は、こちらです。

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

 

 

 ドローゴのように砦を出たくてもなかなか出られない人の方が多いよな、と思います。そこで大事になるのは組織の中でいかにストレス・マネジメントするか。学ぶには北欧の先進事例がたっぷり盛り込まれた「STOP STRESS」がおすすめです。

www.dokushok.com

 

 砦を出る=現代であれば一つの選択肢が起業かと思います。では起業とはどんなマインドをもってやればいいのかを物語として伝えてくれるのが「START UP」です。ポーカーを例えに、何回もチャレンジできる余地を残すことが大切だとわかります。

www.dokushok.com