会社は家族からチームになるー読書感想「NETFLIXの最強人事戦略」(パティ・マッコード)
会社は「管理」で出来ている。大量生産・大量消費社会にあっては、従業員の勤怠管理を徹底し、ヒエラルキー型の組織人事を徹底することで、効率的に経済活動を行えた。しかし、21世紀は「変化」の時代になった。管理は組織を硬直化させ、ルールの数々はむしろ社員の手足を縛っている。変化の時代にマッチした人事・労務制度とはどんなものなのか?本書「NETFLIXの最強人事戦略 自由と責任の文化を築く」は、一つの実験的回答を示してくれる。
サブスクリプション型の動画配信サービスとして日本でも急進し、新たな作品創造でも存在感を発揮するNETFLIX。その人事制度は一言でいえば、スポーツチームだ。プレーヤーは誰もがハイパフォーマー。それをチームの方針で都度組み替え、毎年、毎試合、勝利を目指す有機的な集団だ。
「アメリカのスタートアップだからできることだとね」と突き放すことはたやすい。でも、日本では導入できるか、そして個人としてどう参考にできるかを考える方が、きっと意味がある。著者はNETFLIXの元最高人事責任者、パティ・マッコードさん。生の言葉に触れられる。訳者は櫻井祐子さん。光文社。
自由と責任こそ最高の報酬
本書を読み終えてまず、自分が働いている会社の就業規則や人事制度のガイドラインを見てみた。その基本設計は「ブラックリスト」方式だ。つまり、あれをしてはいけない、これだけは守るように、という「ルール」の順守を求める。何をすれば不正なのか、社員として許されないのかを取り決めている。
NETFLIXの人事思想は、これとは真逆と言っていい。その基本設計はホワイトリスト、社員が最高のパフォーマンスを生み出すための積極施策にあふれ、行動制限となるルールが極端に少ない。
たとえば、NETFLIXには人事考課制度と給与制度を切り離している。上司が部下の評価をしたり、それに応じて給与算定することがコストでしかないと考えるからだ。報酬は、ユーザーに対してどれだけ価値を生み出せたかで算定する。
給与はその人材の価値によって絶対的に決まる。もし業界随一のプレーヤーなら、会社の最高額ではなく、業界の最高額が支払われる。日本ではほぼあり得ない。どれだけ優秀でも相対的に給与を決めなければ、不公平だという声が必ず上がるだろう。
思想の根底にあるのは、従業員への「信頼」だ。NETFLIXでは従業員の一人一人に同社の経営戦略や、半期の目標・課題を徹底してレクチャーする制度もある。「経営状態なんて上層部にしか関係ないだろう」という指摘に、パティさんはこう反論する。
私の答えはこうだ。そんなバカなら雇わなければいい。いやそれより、バカだと思い込むのはよそう。誰かがバカなことをしているというのなら、それは情報を与えられていないか、誤った情報を与えられたせいだ。(p57)
誰かがバカなことをするのは、情報が与えられないか、誤った情報を与えられたせいだ。この見方は、前提として「バカ」を人間の「性質」ではなく「状態」と見ているのが素晴らしい。言い換えればパティさんはNETFLIXの社員にバカはいないと信頼していることになる。
本書を通読して、NETFLIXが素晴らしいなあと思ったのはここだ。人間を信じること。一般的な人事考課制度がないのも、最高の人材には最高の給与を支払うのも、そうする理由を説明すれば社員が分かると信じているからだ。次の一文を見て欲しい。
仕事の満足度は、グルメサラダや寝袋やテーブルサッカー台とは何の関係もない。仕事に対する真のゆるぎない満足感は、優れた同僚たちと真剣に問題解決にとりくむときや、懸命に生み出した製品・サービスを顧客が気に入ってくれたときにこそ得られる。(p156)
仕事の真の満足とは、優れた同僚と真剣に問題解決をするとき、懸命に生み出した仕事が顧客の評価を得た時に感じるもの。その通りだ!我々は、労働者は、心地よく管理されたいんじゃない。誠実に、前向きに働きたいんだ。NETFLIXはそれをわかっている。
チームは解雇と採用のセット
NETFLIXの会社像は「スポーツチーム」だ。パティさんは「会社は家族ではなく、スポーツチームだ」とよく語ってきたという。
(中略)優れたスポーツチームがつねに最高の選手をスカウトし、そうでない選手をラインナップから外すように、ネットフリックスのチームリーダーも継続的に人材を探し、チームを組み換えていかねばならない。そして、「会社が成功するためには、チームがどんな業績を挙げる必要があるか」ということだけを考えて、採用と解雇の決定を下すように義務づけた。(p135)
ポイントは、スポーツチームを比喩や理想ではなくて、本当に実現するということだ。それは最高の人材を集めるために、スピード感ある採用と解雇をセットで行うということを意味している。
印象的なシーンがある。ストリーミング事業が拡大し、ユーザーが観たい作品に辿り着けるよう検索機能の強化が求められていた。その時、ある役員はフェイスブックとの提携というアイデアにこだわっていた。パティさんはどうしたか。
「ねぇ、フェイスブックにかけるあなたの熱意はわかったけれど、あなたは検索部門の責任者でしょう。いっそ、フェイスブックに行ったらどうかしら? 一発で採用されるわよ。あなたを失うのはとてもつらいけれど、何といわれようと今は検索機能を強化できる責任者が必要なの」(p202)
バッサリ、である。しかしこれは、冷徹なんではない。むしろNETFLIXの「自由と責任」を具現化した結果だ。パティさんはこう解説する。
彼は優秀だったが、私たちが必要としていたのは優秀なだけの人材ではない。チームを率いてその仕事を遂行することを熱望する、優秀な人材が必要だった。彼はほどなくしてネットフリックスから別のスタートアップに移り、彼の部下の1人が喜んで後任についた。(p202)
NETFLIXが求めているのは「優秀な人材」ではなく「その仕事を遂行することを熱望する優秀な人材」だ。フェイスブックにこだわる役員を検索業務の責任者に縛っておくことは、実は会社だけではなく役員にとっても不幸だった。
スポーツチームが絶えず選手の移籍(放出・加入)を繰り返すように、自由と責任を重んじる会社も非常に流動性が高くなる。それは面白くもあり、シビアでもある。
自分で道を切り拓く
NETFLIX型の人事制度・思想が日本でスタンダードになるには、かなりの時間が必要になるだろう。だけど、終身雇用が崩壊するとはこういうことなんだと思う。会社は家族からスポーツチームになるんだ、というマインドセットでいた方が、いざその時代が到来した時にもサバイブできる。本書は先読みの教科書だ。
では、個人として何をすべきか? パティさんは端的に「自分の道を、自分で切り拓くこと」を挙げる。
今日のすべての働く人たちに私ができる最良のアドバイスは、つねに柔軟性を保ち、新しいスキルを学び、新しい機会を検討し、折あるごとに新しい課題に挑戦して、新鮮な気もちで自分を伸ばしながら働けるようにしよう、ということだ。ネットフリックスでは、自分の成長には自分で責任をもち、輝かしい同僚や上司から学ぶ多くの機会を活かして、社内で昇進するなり、社外のすばらしい機会をものにするなり、自分の道を切り拓いてほしいと促した。(p140)
ここで「新しい」がいくつも出てくることが、一つのヒントなんだと思う。柔軟性とは何か。スポーツチーム型の会社で活躍するとはどういうことか。それは、新しい課題、新しいスキル、新しい機会に新しい気持ちで向かっていくことだ。
先のフェイスブック派の役員を考えてみる。彼にあった選択肢は、「新しい」検索機能の改善という課題にシフトして没頭するか、それとも「新しい」会社に移って自分が思うような課題に取り組むかだった。いずれにしても全てが「そのまま」というのはあり得ない。
スポーツチーム型の会社とは、なにも全員が本田圭佑さんのようなスター選手になれということではない。そもそもなれないだけじゃなくて、会社にとっても本田圭佑さんが11人いたら勝てるわけではないからだ。
課題には適材適所の人材がいる。そして課題は常にアップデートされる。絶えず「新しい適材適所」にフィットすることが、スポーツチーム型の組織で活躍する秘訣なんじゃないだろうか。
今回紹介した本は、こちらです。
「新しさ」に対応するためには、学び続けなくてはいけない。でも、学び方の教科書は思いの外少ない。中原淳さんの「働く大人のための『学び』の教科書」はその数少ない一冊です。中原さんの人柄が滲んだ優しい中身で、読みやすいです。
とはいえ未来が不安だ、と思う日もあります。そんな変化、ついていけないよ、と。そんな暗い気持ちになったら、村西とおるさんのことを考えてみるのが良いかもしれません。「人生、死んでしまいたいときには下を見ろ!おれがいる」。「全裸監督 村西とおる伝」をどうぞ。