読書熊録

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自衛隊に学ぶストレス管理ー読書感想「心の疲れをとる技術」(下園壮太さん)

戦場以上にブラックな職場はきっとない。しかも負けは許されない。そんな究極の仕事に臨む人たちのストレス管理は一体どうなっているのか。本書「自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れを取る技術」はその一端を垣間見せてくれる。

 

著者の下園壮太さんは、元陸上自衛隊心理幹部。隊員のカウンセリングを重ねて理論を構築し、退官後もカウンセラーとして活躍されている。軍事組織ならではの発想はサラリーマンにも間違いなく活かせる。たとえば「予備」という、戦闘を継続するための考え方。目に見えない疲れを自覚するための「EEI(Essenntial Element of Information)」という考え方。心の体調を崩さない「予防薬」になる。朝日新書。

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自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術 (朝日新書)

自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術 (朝日新書)

 

 

「予備」と「7〜3の発想」

防衛には「予備」という発想がある。計画段階で予備という「何もしない」「使わない」余裕を「任務」として織り込むという。平均的な軍隊は、総力の3分の1から4分の1を予備に割り当てる。

 例えば、4個中隊を指揮する大隊長は、3個中隊を並べて防御し、1個中隊は、不測事態への対処として「予備」という任務を与える。

 逆に言えば、10の力があっても、7か8の行動しかとらないということだ。(p194)

4個中隊があれば、1つの部隊は「備えることが任務」になる。この10の力があっても7か8の行動しかとらないという発想が、ストレスケアでもポイントになる。

 

下園さんが引く大砲の例がわかりやすい。大砲には「最大発射速度」という「一番早く撃てるスピード」とは別に「持続発射速度」が決められている。最大発射速度はその大砲の全力ではあるが、そのまま撃ち続けると砲身が壊れてしまう。一方で持続発射速度は最大発射速度の4分の3、つまり「予備」を抜いた速度に設定されていて、これなら壊れずに撃てる。

戦闘が過酷なのは「いつ終わるか分からない」という点だろう。大戦末期を考えてみても、物資が尽きていく中、戦い続けていく過程で様々な悲劇があった。もし確実に勝負を決着できるなら、大砲を最大発射速度で撃ってもいい。でも、相手は一度撤退するかもしれないし、作戦を変えたり、予期せぬ行動に出るかもしれない。そうして戦闘が長引けば、最大発射速度で大砲を壊すことが致命的なダメージになりうる。

 

下園さんは、仕事においても予備を織り込んだ働き方が大切だと説き、「目標の7〜3バランス」というツールを提案する。

 

たとえば「人から頼まれると嫌と言えない」自分にコンプレックスを持っているとする。この性格を変えようとした時、「今は手一杯なのでBさんに回してください」とピシャリと答える「嫌と言える理想の自分」を10とする。対して「嫌と言えない現状の自分」は0になる。

では、中間の5はなんだろう。「今、ちょっと手が離せないんですが、どうしても急ぎなら、そちらを優先します」と躊躇しながら引き受ける。もうひとつ強気な7なら「他の方に頼んでみていただいて、でも無理そうならやります」、やや弱気な3なら「少し悩んでいる様子を見せつつ引き受ける」かもしれない。

最大発射速度の10は、理想的な自分かもしれない。しかし慣れないことをすれば疲れるし、周囲に角も立って、ストレスになる。その「無理」があなたという「砲身」を壊すかもしれない。だからちょっと「予備」を設けて、7から場合によっては3の行動をする。0の自分からはちょっと前進し、10の自分から見てもある程度努力をした自分は、ストレスと自信のベストバランスが狙える。

 

10の姿は憧れる。他人が10で奮闘している様子はさらに輝かしく見えるし、自分がダメに思える。でも仕事というのは、自分という大砲を派手にぶっ放すことが目的じゃない。むしろなるべく砲身を長持ちさせて、「戦い続ける」ことが大切になる。

 

EEIで疲労を可視化する

自衛隊のハードなレンジャー訓練。1人は無言で黙々と任務をこなす。もう1人はいつもぐちぐち不平ばかり漏らしている。訓練を最後までこなせるか、注視すべきはどちらか。下園さんは「弱音を吐かない隊員ほど、急に折れてしまう」と語る。逆に不平を言う隊員の方が、「何がつらいのか」が可視化されていて、対応が容易だという。

 

弱音を吐かない隊員は、別に好き好んで辛さを我慢しているわけではない。むしろ、辛さや疲労を自覚できていないケースも考えられる。「自分は疲れていない」と思ってしまうのだ。下園さんは、疲労は可視化しにくいこと、また人間は疲労に麻痺するシステムを備えていることに注意が必要だと指摘する。

 

自衛隊は、この可視化をシステム化している。交代制で任務に当たる部隊がチェンジする際「任務解除ミーティング」というブリーフィングを行う。

(中略)そのポイントは次の六つだ。①隊員の報告を受ける、②隊長が情報を与える、③隊員の困っていることを聞く、④隊員の身体症状のチェック、⑤隊員の意見具申を受ける、⑥隊長が現実的視点を示す。(p119)

六つのポイントのうち最重要なのは③隊員の困っていることを聞く、にある。おそらく3番目という比較的前半に共有することにも意味がある。例えば先に身体症状を言ってしまうと、困っていることを「体調に問題がないからいいか」と過小評価してしまう恐れもある。まず主観的な違和感を言語化することで、隊員の心の内をカタチにできる。

 

もうひとつ、軍隊には「EEI」という考え方がある。Essential Element of Information の頭文字で、敵の活動が分からない場合に、「相手の行動によって変化する重大な情報」を指標に、その変化によって情報収集するというやり方になる。

 例えば、攻撃すると読んだなら、「この道路の交通量が増えるはず」とか、「直前に通信量が増える」などのチェック項目を挙げ、その文脈で情報処理する。すると、漠然と見ていただけでは気がつかない兆候に、一貫性を見出しやすいのだ。(p57−58)

自分自身の疲労が見えにくいなら、疲労に関するEEIを設定する。疲れていればどうなるのか。食事量が減る。友達とのラインの回数が減る。アイスクリームを食べる量が増える。自分の行動がどう変化するかに自覚的になれば、疲れすぎるという状態に差し掛かる手前でストップができる。

 

子どもの強さ、大人の強さ

戦闘というのは人類誕生から繰り返されていて、そう考えると企業活動やサラリーマンの仕事、知的労働なんかよりはるかに歴史が長い。その現場でストレスケアに当たってきた下園さんの理論は、科学的裏付けはともかくとして、ぱっと聞いてすっと腑に落ちる説得力がある。

 

その一つが「子どもの強さ」と「大人の強さ」という考え方。下園さんは、心の強さにはこの2種類があると考えている。

「子どもの強さ」は、大人になる準備として「鍛える」という発想で培われた性質になる。たとえば「我慢する」。あるいは「諦めない」「一人でやり抜く」「完全にやり切る」もそうだ。我々は生まれてから20年弱をかけて、子どもの強さを高い強度で学習させられている。

 自分に対する評価は厳しくあることを求められ、簡単に今の自分に満足してはならない。

 これが「子供の強さ」の中核をなしている。

 このような態度が大人をはじめ周囲から賞賛された。

 そして子供の心の強さは、子供時代、実際に成功に結びつきやすかった。というのも、子供時代は毎年自分自身の体力・知力が成長する。我慢して努力していれば、だんだんできてくるようになる。

 また、学校などで与えられる課題も、努力や忍耐で克服できるものが多かった。この結果、私たちは、この子供の心の強さを強く「学習」してきているのだ。(p32)

 

一方で「大人の心の強さ」は、もっと「守り」に注目した強さになる。努力しても報われない。知力・体力が落ちていくのに仕事量はむしろ増える。そんな理不尽さ、あるいは不公平、不平等に「めげない」のが大人らしい強さ。

あるいは正論、子ども時代には正解だった対応が間違いになることもある。上司がチームワークを重んじるならばチームワークを、個人の成果を重視するならそれに則る方がベター。ベストアンサーは状況次第だし、柔軟に理屈を使い分ける大人の方が強い。

 

この社会で生きづらくなっているのは、「子どもの心の強さ」が強い人なんじゃないかと下園さんは指摘する。頷ける。子どもの価値観のまま戦えば、まさに最大発射速度での戦闘に陥りがちになる。予備がなくても回復力や成長力で補ってきたのが子どもだけれど、回復力も成長力も永続しないのが大人。それでも戦い続けるための苦肉の策が「大人の心の強さ」なんだろう。

 

「大人の心の強さ」は伸ばすよりも養うもののようだ。うまく疲労を回復しつつ、ぼちぼちやる。そのために下園さんは「動」のストレス解消だけではなく「静」のストレス解消を身につけることを勧める。子どもは有り余る体力で、ストレス解消もスポーツだったり旅行だったり、とにかくアクティブ。でも大人は回復するための体力も乏しいわけで、もっと静かな趣味を育てていこうと。日曜大工、料理、映画鑑賞、俳句や短歌。心に栄養を与えることで、また理不尽にも向かっていける。

 

今回紹介した本は、こちらです。

自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術 (朝日新書)

自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術 (朝日新書)

 

 

 科学的アプローチ、組織論からストレスケアについて考えるのもまた面白いです。北欧の産業医療の専門家による「STOP STRESS」は格好の参考書です。「ストレスとは環境負荷が自己評価を上回る状態である」など、ストレスケアを考える基本的なフレームワークを学べます。

www.dokushok.com

 

戦い続けるスタンスが重要である、というのは、実は極限の挑戦者たる起業家にとっても大切なようです。「START UP アイデアから利益を生み出す組織マネジメント」は、ラスベガスのポーカー大会を例に、起業のポイントを小説形式で学べます。

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