読書熊録

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アフター2020をどう生きるー読書感想「東京の子」(藤井太洋さん)

小説「東京の子」はアフター2020をどう生きるか、を読者に問い掛ける。五輪は終わった。どうにも使いきれないレガシーが残った。すっかり東京は「国際都市」へ変貌した。足元の雇用は溶け出していく中で、理想なのかどうか判別できないビジョンが立ち上がっていく。そんな世界が舞台だ。

 

藤井太洋さんの最新作(2019年2月時点)。「東京の子」は五輪後の世界に生じるであろう複雑さを直視するけれど、決して悲観に終わらない。藤井作品の代名詞である、既存システムをハックする軽やかな主人公がいるからだ。本作の主人公の武器は「パルクール」。五輪競技ではない、「街を駆け抜ける技術」を駆使して、問題を飛び越えていく。角川書店、2019年2月8日初版。

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東京の子

東京の子

 

 

宴のあとの東京

舞台は2023年、東京。物語の始まりは新大久保のベトナム料理店「724」で、ここに日本人はたった2人しかいない。現実世界でも成立した「出入国管理及び難民認定法」で、東京で働く外国人労働者は爆発的に増加した。724で店員をしつつ、失踪しかけた外国人を連れ戻す「何でも屋」を生業にする主人公・仮部諌牟(かりべ・いさむ)は、店内の様子を「オリンピック後の東京を象徴する眺めだ」(p5)と語る。

 

そのオリンピック・パラリンピック。果たしてどうだったのか。

 湾岸エリアを中心に整備されたスポーツ競技場は、あの祭りを終えて三年が経ったいま、解体と復旧工事のために税金を食い尽くす負の遺産(レガシー)と成り果てていた。開会までとは異なり、締め切りがなくなった工事はだらだらと遅れ、現時点での復旧見積もりは四兆円を超えて、東京オリンピック・パラリンピックの開催費用は十兆円を超えた。

 この資金を少しでも回収するために、国と都が打ち出したのが民間への払い下げだった。五輪を沸かせた会場のほとんどは、ショッピングモールや大型の倉庫、タワーマンション、介護施設、そして大学へと姿を変えているところだ。(p5)

日本に夢を与えるはずだった祭典が残したものが負の遺産で、それも民間に払い下げられて東京のありふれた景色の一部であるマンションや倉庫になるとは。呆れる気持ちもあるし、一方で「さもありなん」とも思えてしまう。

 

この民間払い下げの一つに、「東京デュアル」という新型の「大学兼職業訓練学校」がある。デュアル内の724で働いているベトナム人女性ファム・チ=リンが、このところ姿が見えない。仮部に依頼が舞い込み、デュアル内に入り込んでいくことで物語が回転し始める。ファムは、デュアルで「人身売買」が行われていると告発しようとしていたのだ。

 

人身売買。奴隷制があった時代や、途上国から先進国への斡旋を思わせる言葉が、五輪後にも語られる。ここに問題の本質が垣間見える。2020を終えて、東京の雇用はすっかり形を変えた。再び、新大久保の724を見てみる。午前0時をまたぐような時間に、724を訪れる客は二種類に分かれる。

 片方は、三百八十円のフォーに無料のモヤシとパクチーを盛り上げ三百五十円のビールを頼むかどうかを真剣に悩む社員3・0。会社員という仕事を請け負う個人事業主だ。命じられた時間はオフィスに張り付いて、正社員たちが帰った後は街をうろついて仕事をしている彼らが企業と結ぶ請負契約には、残業という概念がない。

 もう一つの集団は、自らを「ザイ」と呼ぶ高度人材たちだ。そこそこの年収を得られる彼らは金遣いが荒く、”定時”を持たないのでどれだけ働いても残業になることはない。(p214)

かたや「社員3.0」。会社員としての仕事を個人請負、フリーランスとして受注する新形態だ。もう一方は高度プロフェッショナル人材の「ザイ」。待遇の違いはあれど、2019時点の働き方改革で目指した、ゆとりのある働き方はできていなそうだ。むしろ、企業活動に最適化されているだけでしかない。

 

五輪という派手な夢のあとに待っていたのは、こんな世界。仮部はファムのいう「人身売買」の中身に耳を傾けて、首を突っ込むことになる。

 

軽やかに超えていく

藤井さんの小説は、いつだって主人公が軽やかだ。「オービタル・クラウド」では地球規模の危機にエンジニアたちが国境を越えて繋がりあった。「ハロー・ワールド」でも主人公は一介の会社員ながら、正義と不正義の境界に立たされてもちゃんと踏みとどまり、抜け道を探す。

 

「東京の子」の仮部は、エンジニアではない(今回は仮部の相棒的な友達として雲野背文というハッカーが出てくる)。仮部はある理由で戸籍を買い、「背乗り」して生きているけれど、幼少の頃は天才パルクール・パフォーマーとして世界中に名を轟かせた。パルクール。これが仮部の武器だ。

 

パルクールとは、障害物のある場所を軽やかに移動していく身体動作のことを指し、フランスの軍事訓練から発展したという。腕や脚を巧みに動かし、障害物をかわしながら前進しているのにまるでまっすぐ走っているかのような錯覚さえ与える。仮部はパフォーマーとしてのキャリアをいったん終えた後も鍛錬を怠らず、いまも「ミリ単位」で自分の体を操作できる。

たとえば、東京デュアルの校舎内で、エスカレーターを走って逃げる水谷という男性を追いかけるシーン。

 ワンフロア下で水谷に追いつくための動作は十五通りほどあり、気がついたときには、仮部はその中の一つを選びとって、スピードを緩めずに最上段から飛び出していた。

 両脚を揃えて一回目の着地に備えながら、通り過ぎる段数を数えていく。六、七、八ーー着地は十二段目だ。右隣のエスカレーターを駆け下りる水谷の背中に届きそうだが、エスカレーターに飛び乗っていると間に合わない。

 もう一度ジャンプだ。(p112-113)

大跳躍をしながら、冷静にターゲットとの距離を計算し、さらに連続ジャンプに踏み切る。やってみようとすれば、普通はできっこないのがよくわかる。階段を十二段飛ばして無事着地できるかも危うい。

 

主人公が持ち合わせているものが、知力でも武力でもなく移動力だというのが面白い。そしてこれまた象徴的な気がしてくる。複雑化する問題を、飛び越えてしまうという発送。実際、仮部の軽やかさが、袋小路に迷いそうなファムや周囲をうまく導いてくれる。 

 

「東京の子」は、そんな軽やかさをまとった物語だ。現実はそう容易に変わらない。でも、困難さを伴いながら、走り続けることはできる。

 

今回紹介した本は、こちらです。

東京の子

東京の子

 

 

藤井さんの作品世界の入り口としては、前作の「ハロー・ワールド」がぴったりなんじゃないかと思います。エンジニアで会社員の主人公は、大きすぎる課題にもうまく、それなりに対応していく。よりSF感もある連作短編集です。

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もしも理想的な社会が構築されたら、仮部たちが駆け回るような課題は消え失せるんだろうか。ディストピア小説「ユートロニカのこちら側」を読むと、そうでもない気がします。犯罪の事前取り締まりが可能になり、完全なる平和を作り上げた都市の話。

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