読書熊録

本に出会う歓びを、誰かと共有したい書評ブログ

私が私を裁かなくちゃいけないー読書感想「死にがいを求めて生きているの」(朝井リョウさん)

誰も私の価値を決めたりはしない。あるともないとも言わない。だからこそ、私は私を裁かなくちゃいけない。それで、自分を肯定できるのならいい。でもそうじゃない。だからこんなにも、苦しい。朝井リョウさんの長編小説「死にがいを求めて生きているの」は、「絶対評価」の時代の生きづらさを浮き彫りにする。

 

若者の物語の旗手と言っていい朝井さんが、若者の生きづらさを真正面から考える。その核心にあるのはどうやら「自滅」のようだ。自滅する人、嘲笑する人。しかしその蔑みが、くるりと銃口が回転するように自分にも向かってくる。「何者」で見せた「誰も逃さない」物語の運びが、さらに切れ味を増している。中央公論新社。2019年3月10日初版。

f:id:dokushok:20190321171706j:plain

 

死にがいを求めて生きているの

死にがいを求めて生きているの

 

 

「美しいもの」はどうして生まれた?

舞台は札幌市内の病院。305号室に横たわる若者、南水智也は重度の脳挫傷で植物状態が続いている。都内のマンションで転倒し、打ち所が悪かったのか意識不明に。実家のある札幌市内へ転院してきた。

智也の部屋に、いつも決まった曜日の決まった時間に見舞いに来る男がいる。堀北雄介。大学4年生で、智也の親友だと言う。平日の夜や週末に訪れる智也の親族や、彼女らしき女性を除けば、際立った頻度で病室を訪れている。雄介は担当看護師の白井友里子にこう呟く。

 やがて堀北は、友里子から目を逸らしてそう呟いた。小さなころからずっとずっと一緒で、二人でいろんなことを助け合ってきたのに、あの瞬間だけ、助けることができなかったんです。二十年間の中で、あの一瞬だけ、俺はどうすることもできなかったんです。そのことがずっとずっと許せなくて……こいつの人生が止まった瞬間に何もできなかったから、せめて、こいつの人生がもう一度始まる瞬間には、絶対に立ち会いたいって、そう思ったんです。(p18-19)

この美しいワンシーンが描かれるまで、ほんの20ページだ。本書全体は500ページ弱ある。この後に続く長大な物語は、病室で時を過ごす「親友同士」に至るまでの、幼少から青年期までをたどる。「美しいもの」がどうやって生まれたのか、振り返る物語と言ってもいい。

 

ただ、単なる友情物語には終わらないのが朝井作品。智也はなぜ、植物状態になったのか。雄介とはどう出会い、どういう関係にあったのか。過去から糸を手繰るように二人の歴史を追えば、じわじわと、不穏さが広がり始める。

 

各章、語り部となる登場人物が入れ替わる。最初は看護師の白井。その後、「前田一洋」「坂本亜矢奈」「安藤与志樹」「弓削晃久」と、智也と雄介に関わる4人の人物にバトンパスし、最終章は「南水智也」になる。本人の言葉で、この「友情」の真相が語られる。

 

「あの人より劣っている」という内なる声

智也と雄介は20歳。これはいま=平成を生きる若者の物語だ。本書の帯にはこんな惹句がある。「”平成”の若者たちが生きる自滅と祈りの物語」。本書は「生きづらさ」をテーマにして、その根幹に「自滅と祈り」の言葉を据える。

 

自滅とは何か。物語後半、ある人物の語りが参考になる(誰が誰に語ったかは、物語の楽しみを毀損してはいけないし、伏せて引用する)。

 「俺、自分のためにやりたいことも、誰かのためにやりたいことも、何もないんだよ」(中略)

 「昔みたいに決められたルールがないと、自分からは何も出てこないんだ。小学校で俺の言いなりだった奴も、中学で俺より頭悪かった奴も、俺より偏差値低い大学行った奴もみんな、ルールが変わった次の世界で俺を抜いていった。●●(※実際は人物名)のバイト先で集まって飲んでた社会貢献人間たちも、次の生きがい見つけて楽しそうに活動してる。もうこうなったら、あいつらとは違うやり方で戦うしかない。同じところに居続けたら、どんどん進んでいくあいつらに笑われ続けるだけだ」(p397)

平成の象徴として、朝井さんは「絶対評価」を取り上げる。相対評価とは違う。誰かと比べて、何かと比べて優劣をつけるのではなく、自分で自分の価値を決める。それは「物差し」を自分で持つということだ。

 

しかしこの人物は、「自分のため」でも「誰かのため」でも、「やりたいこと」が見つからないという。物差しがないんだと吐露する。だから「同じところに居続けている」。そして、周囲の人物が「どんどん進んでいく」ように感じられて、劣等感を募らせる。

 

あるいは、別の人物はこう述懐する。

 だけど人間は、自分の物差しだけで自分自身を確認できるほど強くない。そもそも物差しだってそれ自体だけでこの世に存在することはできない。ナンバーワンよりオンリーワンは素晴らしい考え方だけれど、それはつまり、これまでは見知らぬ誰かが行なってくれた順位付けを、自分自身で行うということでもある。見知らぬ誰かに「お前は劣っている」と決めつけられる苦痛の代わりに、自ら自分自身に「あの人より劣っている」と言い聞かせる哀しみが続くという意味でもある。(p448)

ナンバーワンよりオンリーワン。でも、それは自分で自分を肯定しなければ、誰も自分を肯定してはくれないということでもある。「お前は劣っている」と評価されるのは辛い。でも、自分を肯定できない絶対評価は、「自分はあの人より劣っている」という声を自分の内側にこだまさせる。

 

「お前は劣っている」と言われても、反発できる余地はある。そんな物差しから距離を置いて、相対的に自分を認められるかもしれない。でも今は、誰もあなたを断罪しない。点数化しない。その結果、評価者が内在化して、自分で自分を苦しめる。これがきっと、「自滅」なんだ。

 

あなたの中にも彼がいる

自分で自分を肯定できず、他人と比べては劣等感に「自滅」する。そんな人物がこの物語には登場する。周囲にいれば、いわゆる「痛い」奴と思ってしまうだろう。だって人は自分が思うほど、自分を見てはいない。どうでもいいのに、勝手に自滅するなんて。

 

それは嘲笑だ。自滅する人を、嘲笑する人がいる。

「なんか俺、時間の無駄だってわかってんのに、定期的に●●の近況チェックしちゃうんですよ。見たらイライラするのわかってるのに、もうイライラするために見てるっていうか」(p349)

嘲笑したくて、無視しておけばいいものを、あえて嘲笑する。この心理はなんだろう。台詞はこう続く。

「(中略)こいつマジで何と戦ってるんだろうって感じなんですけど、なんか、自分は絶対こうはならないって言いきれない気持ち悪さもあるっていうか。自分の中にもいるんですよ、●●が。いつも何かと戦ってるように見せかけて、本当は別のものから逃げ続けてるこの感じ、わかりますもん(p349)」

自分の中にもいる。何かから逃げているだけなのに、何かと戦ってるふりをして、自滅する人物のような「感じ」が。嘲笑するとき、自分は「嘲笑される人」ではないことを確認したいんじゃないか。自分の中にある弱さから目を背けるために、笑い者にしたいんじゃないか。実は嘲笑する人もされる人も、土俵は同じなんだ、本当は。

 

自滅する人、嘲笑する人は、誰なのか。そして自滅は、智也と雄介の「友情」にどう作用してるんだろうか。そして、もう一つの鍵「祈り」。本書の中に散りばめられているので、ぜひ見つけてみてほしい。

 

今回紹介した本は、こちらです。

死にがいを求めて生きているの

死にがいを求めて生きているの

 

 

 

社会が自己に働きかける。それは人格や関係性を歪めもする。「82年生まれ、キム・ジヨン」は、ジェンダーの観点からその力学を物語化しています。女性であるというだけで、強いられるもの、背負わされるものがある。

www.dokushok.com

 

若者と、その生きづらさや陰影を言葉にした小説といえば、窪美澄さんの「じっと手を見る」を思い出します。田舎町の介護士。最初から終わっているような、出口の見えない恋愛小説ですが、とても引き込まれます。

www.dokushok.com