読書熊録

本に出会う歓びを、誰かと共有したい書評ブログ

女性が電撃を放てるようになった世界ー読書感想「パワー」(ナオミ・オルダーマンさん)

ある日、女性が手のひらから電撃を放てるようになった。まるでデンキウナギのように。本気を出せば、男性の命さえも奪えるようになった。裸一貫で、手ぶらで。じわじわと、男性優位の世界は転回を始める。ナオミ・オルダーマンさん「パワー」は痛快な男女逆転小説だ。そして男性にとっては、この上ないディストピア小説と言っていいかもしれない。手にしていた全てを奪われる。女性が受けてきた抑圧を、疑似体験できる。安原和見さん訳。河出書房新社。2018年10月30日初版。

f:id:dokushok:20190323135659j:plain

 

パワー

パワー

 

 

「女性が支配する世界」の「歴史小説」

物語の始まりは、ある作家が編集者に宛てた手紙。新作を書いてみたという。それは「広く認められた考古学説のノベライゼーション」だという。編集者は拾い読みをしていたく気に入る。返信の感想には、こうある。

 それはともかく、じつに楽しみです! おっしゃっていた「男性の支配する世界」の物語はきっと面白いだろうと期待しています。きっといまの世界よりずっと穏やかで、思いやりがあってーーこんなことを書くのはどうかと思いますがーーずっとセクシーな世界だろうな。(p8)

何かがおかしい。この編集者は、「男性の支配する世界」が「いまの世界」より、ずっと穏やかで思いやりがあるんだろうなと夢想している。最初の作者の手紙とすり合わせる。なるほど、彼らのいる時代は「女性が支配する世界」なんだ。そして、もはや考古学的出来事になった、遥か昔の男性が支配する世界を想像している。

 

そう、本書「パワー」は、女性が支配する未来に書かれた「歴史小説」という形をとる。かつて、男性が支配していた世界。それが変わるまでの物語だ。実に痺れる導入だと思う。もう男性支配は、終わってるんだから。

 

支配と抑圧の源泉は「力」

作家が書いた小説「パワー」(本書「パワー」の中で歴史小説「パワー」が展開する、メタ構造になっている)。最初の小見出しにはこうある「あと十年」。何かが起こる十年前から物語がスタートする。母親と二人でいる自宅を、男たちに襲撃された少女ロクシー。その窮地で、ロクシーは唐突にパワーに目覚める。

 なにかが起ころうとしている。耳の奥で血管がどくどく言っている。ぴりぴりする感覚が背筋に、肩に、鎖骨に広がっていく。その感覚が、やればできると言っていた。おまえにはその力があると。(p15)

パワーとは、電撃だった。ロクシーは手のひらから雷霆(いかずち)を繰り出せるようになった。作者はこう記す。「ロクシーは最年少で、最初期のひとりだった」。

 

電撃を放つ能力は、世界中の少女の中で目覚める。電撃を受けた大人の女性も、同様に力が呼び起こされた。どうやら鎖骨にある「ステイン」という器官が発電するらしい。不思議なことに、この力は女性にのみ発現した。男性には与えられなかった。

 

物語は主に4人の視点が交代しながら進む。まずロクシー。彼女はロンドンのマフィア一家の娘でもある。里親に虐待を受けているアメリカのアリーは、導かれるように修道院へ入ることになる。同じくアメリカの市長マーゴット。そして、唯一の男性であるジャーナリストのナイジェリア人トゥンデは、世界中に飛びこの現象を記録する。

 

女性が抑圧された中東の国では、ベール姿の女性が政権を転覆させる。アフリカでは売春を強要されていた女性たちが反乱を巻き起こす。電撃を手にした瞬間、男女の優位関係は逆転する。男性が女性を腕力でねじ伏せてきたように、女性は致死的な電力で男性を排除できる。

 

力に目覚めたマーゴットの心境の変化が印象的だ。州知事の男性ダニエルらと対峙している時。もちろん、これまではダニエルが優位だった。政治の世界は圧倒的な男性社会。でも、マーゴットはこう思う。

(中略)彼女ははるかに高く洗練された領域にいる。肺を満たす空気は氷の結晶で、すべてが澄みきって清潔な領域。実際になにが起こっていようと大した問題ではない。彼女にはこのふたりを殺すことができる。それこそが第一義的に重要な真理だ。(p94)

ダニエルに何を言われても、マーゴットの心中は穏やかだ。澄みきっている。それは、「いざとなれば目の前の男の命を奪えるから」。これまでは逆だった。ダニエルはいざとなれば、目の前の女性を倒すことができた。権力の源泉は物理的なパワーである。パワーがあるから支配できる。そんな「真理」が浮き彫りになる。

 

力を手にした女性は「男性」になる

抑圧されてきた女性が、軛を逃れる。世界を変えていく。その先には、優しい風景が広がりそうなものだ。横暴で、粗野で、子どもっぽい男性が支配したからこそ、世界は絶望的だったのではないか。でも、話は簡単にはいかない。

 

各地で女性による支配が確立されていく。ある場所で、ジャーナリストの男性トゥンデはこんな体験をする。

 路上で女たちの集団ーー笑ったり冗談を言ったり、空に向かってアークを飛ばしたりしているーーのそばを歩いたとき、トゥンデは胸のうちでこうつぶやいた。ぼくはここにいない、ぼくは何者でもない、だから目を留めないでくれ、ぼくを見ないでくれ、こっちを見てもなんにも見るものはないから。

 女たちはまずルーマニア語で、それから英語で声をかけてきた。彼は歩道の敷石を見つめて歩いた。背中に女たちが言葉を投げつけてくる。淫らで差別的な言葉。だが、彼はそのまま歩きつづけた。

 日記にこう書いた。「今日初めて、路上でこわいと思った」インクが乾いたとき、その文字を指でなぞった。真実は、その場にいない者のほうが耐えやすい。(p331)

力を誇示し、集団で、誰もが歩けるはずの路上で、性的・差別的な言葉を投げつける。この景色は、どこかで見たことがある。女性が道を怖くて一人では歩けないと嘆く世界が、逆転した形で再現されている。

 

まるで女性が「男性」になっている。ジェンダーを理由に、それに付随するパワーを武器に、一方的に相手を支配する「男性的なもの」になっている。ここに大切なことが詰まっていると思う。問題なのは、パワーを乱用すること。そしてパワーがある者が、ないものを支配できるという考え方そのものなんだ。

 

歴史小説「パワー」は、徐々にカウントダウンを短くしていく。あと十年だった序盤は、八年、五年と、「その時」に近づく。女性のパワーが発現して、十年後、世界はどうなるんだろうか。見届けてほしい。

 

今回紹介した本は、こちらです。

パワー

パワー

 

 

 

オルダーマンさんは同じく小説家マーガレット・アトウッドさんから指導を受けたといいます。アトウッドさんの「侍女の物語」も、同じくジェンダーをテーマにしたディストピア小説。女性が生殖のための「道具」にされる世界を描きます。

www.dokushok.com

 

SFではなく、現代小説としてジェンダーを扱ったものでは、「82年生まれ、キム・ジヨン」がオススメです。お隣・韓国で、女性が生まれてから働くまで、ずっとずっと「背負わされている」状況が巧みに物語化されています。

www.dokushok.com